◆たぶん週1エッセイ◆
映画「ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生」
5作まで引っ張るという意図が前に出た感じが強く、そのためにダンブルドアに新たな弟がいたことにするというのは驚き
ファンサービスの小ネタが多く楽しめる面もあるが、話がわかりにくくついて行けないところが多々ある
「ハリー・ポッター魔法ワールド最新作」と銘打たれた映画「ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生」を見てきました。
公開3日目日曜日、新宿ピカデリースクリーン1(580席)午前8時50分の上映は、8〜9割の入り。
前作の最後にアメリカ合衆国魔法議会の高官グレイブスに化けていてニュート・スキャマンダー(エディ・レッドメイン)に拘束された闇の魔法使いグリンデルバルト(ジョニー・デップ)が、護送中に脱走した。イギリス魔法省はホグワーツの教師となっていた最強の魔法使いといわれるダンブルドア(ジュード・ロウ)にグリンデルバルトとの闘いを求めるが断られる。ダンブルドアは、ホグワーツの教え子だった卒業生ニュートに、「グリンデルバルトと闘えるのは君だけだ」と唆し、ニュートは、思いを寄せつつも兄テセウス(カラム・ターナー)の婚約者リタ・レストレンジ(ゾーイ・クラビッツ)をニュートの婚約者と間違えてすねてしまった闇祓いティナ(キャサリン・ウォーターストン)を探し求めるとともに、グリンデルバルトを追って、ニューヨークからニュートを訪ねてきたノーマジ(人間)のジェイコブ(ダン・フォグラー)とともに、パリに向かう。グリンデルバルトは前作で消滅させられたはずのクリーデンス(エズラ・ミラー)を探し求め…というお話。
ハリー・ポッターシリーズ本編ではホグワーツ指定教科書「幻の生物とその生息地」の著者として名前が出ていただけのニュート・スキャマンダーを主人公にして、「ハリー・ポッター新シリーズ」とか「ハリー・魔法ワールド」などといって映画を5作も作ろうという強欲な企画の第2作。前作は、ハリー・ポッターとは違う舞台のニューヨークで、まったく別の話としてシンプルに作っていましたが、前作で新登場させた孤児のクリーデンスを重要なキャラに格上げし、そのクリーデンスを中核に据えて、ハリー・ポッターシリーズの終盤で語られたダンブルドアとグリンデルバルトの決戦に至るエピソード、言わばハリー・ポッターエピソード0を、あと3作もかけて描こうとする展開をしています。そのために、今回、すぐにダンブルドアがグリンデルバルトと直接対決しなくていいように(直接対決したら1作で終わってしまいますから)それができないわけを作り、ハリー・ポッターでヴォルデモートが飼っていた大蛇ナギニを人間として登場させた挙げ句に、この作品の中ではニュート側に配置し、他方前作でニュート・ジェイコブ側だったクイニー(アリソン・スドル)をグリンデルバルト側に走らせ、今後の紆余曲折で話を保たせようとしています。前作で消滅させられたはずのクリーデンスは説明もなくよみがえり、さらには、ハリー・ポッターでは弟のアバーフォースと妹のアリシアとの3人兄弟という設定だったダンブルドアにもう一人「アウレリウス」なる弟がいたことにされます。
新たな展開と楽しめれば、いいんですけど、なんだか無理してこじらせねじれさせている感じがしますし、この作品自体、見ていて話がわかりにくく、なんといってもイメージが暗い。ハリー・ポッターファン向けのトリビアというか小ネタが多数仕込まれていて、それはそれで楽しめますけど、これで5作まで引っ張ると言われてもねという気持ちがどうしても前に出てしまいます。
(2018.11.25記)
**_****_**