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たぶん週1エッセイ◆
映画「福島 六ヶ所 未来への伝言」
ここがポイント
 典型的に悲惨な避難者ではなく、ありがちなやや恵まれた避難者に思いを語らせたところが、被害の裾野の広がりを想起させる
 あえて核燃のおかげで出稼ぎをしなくて済むようになった、核燃がなくなったらそれで生活している人はどうなると語らせることで、解決の困難さを示し、問いかけ型の作品となっている

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 福島原発事故で避難した住民、地元で米作りを続ける農家、六ヶ所村に帰省した住民、漁業を続ける住民らの思いを描いた映画「福島 六ヶ所 未来への伝言」を見てきました。
 初公開(2013年2月9日)から1年余、全国各地で自主上映を積み上げ、久しぶりの映画館での2週間通し上映となった中日の日曜日、この時点で全国唯一の上映館オーディトリウム渋谷(136席)午前10時30分の上映は4割くらいの入り。

 福島第一原発から5km圏の大熊町に事故の1年半前に自宅を新築した、幼児を抱える夫婦は、福島原発事故後東京に避難し、新宿区の団地に住んでいる。自宅に戻ることもできず二重ローンを抱え、第2子を孕み将来に不安を感じながら生活している。郡山から長野県に避難した女性は、帰りたいという思いと子どものことを考えれば帰れないという思いにひき裂かれる。福島で有機農業による米作りを続ける農業者は放射能を減らしつつおいしい米を作るべく努力を続けるが米が売れない。六ヶ所村に帰省した女性は、好きだった場所に核燃サイクル施設ができたことに不本意な思いを持ちつつ、核燃のおかげで出稼ぎをしなくてもよくなった、核燃がなくなったらそれで生活している人たちはどうなると複雑な思いを語る。反対運動の先頭に立っていた漁師は、福島原発事故のために捕った魚から放射能が検出され魚を捨てさせられる日々を嘆く…というお話。

 福島原発事故については、特に悲惨なケースではなく、ありがちな、ある意味ではやや恵まれている避難者を取り上げて、避難者自身が自分たちは恵まれている方だから不満は言えないという意識を持ちつつ思い惑う様子を描き、福島原発事故の被害者の裾野の広さを感じさせています。既にメディア等を通じて聞き知っている典型的に悲惨なケース以外でも苦しんでいる避難者が多数いるのだ、恵まれているように見えてもやはり故郷を追われ避難していることは辛いのだということを思い起こさせます。
 安全な食べ物を求める消費者と、その消費者と連携し努力してきた有機農業者が、どんなに努力しても微量の放射能は検出され、農業者は途方に暮れ、消費者側でも自分の子どもに食べさせられるかと悩む様子が描かれ、簡単ではない問題の所在を示しています。
 六ヶ所村の核燃サイクル施設については、監督自身が12年にわたり住みついていただけに強い思い入れがあるはずですが、あえて核燃サイクル施設が来たおかげで出稼ぎをせずに済むようになった、核燃サイクル施設がなくなったらそれで生活している人たちはどうなるといわせて既にできている施設を巡る問題の解決が簡単でないことを示しています。その問いかけを入れたら、次には核燃のない村の産業と生活の再生を語る人を入れるのが、たぶん核燃反対の立場でのオーソドックスな対応と思いますが、そこはたぶんあえて、避けられています。
 そういった解決困難に見える問題も、連帯すべき仲間の間での対立現象も、すべては原子力事業者とその利権、原発事故から発しているもので、この映画に登場している人々の全員が原子力産業の被害者なのだということになると思います。JCO臨界事故の教訓から脱原発を主張するようになった東海村の村上村長の決断が必要だという発言を入れて、方向付けをしていますが、全体としては声高に反・脱原発を主張するよりは、問いかける形の作品になっています。

 映画館が渋谷のラブホ街のまっただ中(ユーロスペースと同じビル)にあるのですが、すぐ近くにライブハウス O-EAST ができたため、女子中高生の群れをかき分けないとたどり着けないというありさま。目的が映画じゃなくてラブホだったら逃げ帰ったかも。
 映画上映後に、島田恵監督のトークショーがありましたが、風邪で声が出ず、大部分はゲストのお話でした。残念。それにしても、監督は私とほぼ同じ年のはずですが、挨拶の様子が今なお初々しい (*^_^*)
(2014.2.23記)

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