庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

たぶん週1エッセイ◆
映画「2つ目の窓」
ここがポイント
 家庭の事情を背景に戸惑いを持つ思春期の少年と少女の成長がテーマ
 解放感のあるラストは感動的だが、2人が交錯する形で喜びを爆発させた方がよかったと思う

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 奄美大島の自然/海を背景に命とそのつながり、思春期の戸惑いと成長を描いた映画「2つめの窓」を見てきました。
 封切り2週目土曜日、全国12館東京で唯一の上映館テアトル新宿(218席)午前10時45分の上映は4割くらいの入り。

 幼い日に両親が離婚し母岬(渡辺真起子)とともに奄美大島に住みついた海を怖がる無口な高1男界人(村上虹郎:新人)は、岬が自分を放って男と関係を持つことに苛立ちを感じていた。ユタ神様として島の人々に頼られてきた母イサ(松田美由紀)が余命幾ばくもないことを知った娘の杏子(吉永淳)は、戸惑いを感じていた。死期が近づき家に戻ってきたイサを父徹(杉本哲太)は温かく迎え、イサは杏子に、自分の命は杏子につながっている、いつか杏子が生む子どもにもつながっているから死ぬのは怖くないと語りかける。界人は東京にいる父篤(村上淳)に会いに行き母を守ってやれと諭される。界人に思いを寄せる杏子は、思いを告げ寄り添うが、母親の男性関係に嫌悪感を持ち続ける界人は、杏子にどう接してよいか戸惑うばかりだった。ある夜界人は岬を男性関係のことで罵り、杏子からあんたの覚悟が足りないだけと批判されるが、嵐の中岬が行方不明になり…というお話。

 家庭の事情を背景に戸惑いを持つ思春期の少年と少女が、奄美大島の自然と風俗の下で家族との語らい、思いを寄せる相手との交流の中で成長を見せるというのがテーマになっています。
 もともと制服のままで海に飛び込んで泳ぐ天然の行動力を持つ杏子が、母から子へと命がつながると語られ、余命幾ばくもないとはいえ親子3人で和やかに過ごし、父母からも界人への思いを温かく見守られて、肯定的な考えを進め成長を見せるのに対して、幼い頃の両親の離婚を引きずってか海に入るのが怖いといい母親の男性関係に苛立ち、杏子から思いを告げられても素直に振る舞うこともできない界人は、母親が行方不明になって初めて自分の気持ちに素直になり、ようやく成長を見せるという展開です。先に成長し解放された杏子が、遅れている界人を成長させ解放するというイメージです。
 2人の関係は、杏子が界人に思いを寄せ、杏子が積極的に思いを告げ誘い迫り、界人がためらいを見せ最後にようやく…という展開なのですが、ラストシーンをみると、界人が積極的になり、2人で泳ぐ美しいシーンも界人がほぼまっすぐ泳ぐのを杏子が少し回り込む感じで、界人が優位の構図になっています。積極的に行動する女性が最後には男を立てる形を採るのが賢明というように読めるのが最後にちょっと気になりました。遅れていた界人が最後に成長したイメージを増幅強調する意図かも知れませんが。2人が交錯する形で喜びを爆発させるようなエンディングにした方が私はよかったと思います。

 死があるからこそ、生/性の喜びがあるという構造で、冒頭のヤギの死、入れ墨男の死体、イサの死と死のイメージが重ねられます。ヤギの死(屠殺)のシーンは目を背けたくなり、何のためにこういうシーンを比較的長回しで入れるのだろうといぶかしく思えますが、後半になり全体像が見えてきたところで納得します。
(2014.8.2記)

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