◆たぶん週1エッセイ◆
映画「L.A.ギャングストーリー」
ロサンジェルスを牛耳るギャングに法律を無視してゲリラ戦を挑んだ警察官チームを描いた映画「L.A.ギャングストーリー」を見てきました。
封切り2週目日曜日、新宿ミラノ3(209席)午前11時15分の上映は5割くらいの入り。
1949年、除隊してロサンジェルス市警に戻ったジョン・オマラ巡査部長(ジョシュ・ブローリン)は、判事や警察上層部も買収してロサンジェルスを牛耳るギャングミッキー・コーエン(ショーン・ペン)の娼館に一人で乗り込み女性を騙して連れ込んでレイプしようとしていた3人の手下を逮捕・連行するが、警察署に戻る頃には人身保護令状が出され悪党は直ちに釈放されてしまう。憤るオマラを部屋に呼んだパーカー市警本部長(ニック・ノルティ)は、コーエンを潰すために何をやってもいい、逮捕の必要もない、部隊の人選は任せる、これは捜査ではない戦争だと極秘特別指令を出す。身籠もった妻コニー(ミレイユ・イーノス)が危険な任務に反対しながら選んだはぐれ者部隊を口説いて率いたオマラは、コーエンの賭場や麻薬輸送車を次々と襲撃してゆくが…というお話。
危険を顧みずあまり作戦を練らずに愚直に現場に飛び込んでいくオマラの、西部劇的なマッチョなダンディさに、素直にまたはノスタルジックな思いを込めて、共感できるかがほぼすべてという映画だと思います。
オマラに関しては、身重の妻コニーが戦争が終わって平和になったのにまた危険な任務を引き受けるのかという反対するのを押し切っていくわけですが、ここでコニーがそれでもやるのならと部隊の人選を自ら行い、勇気や志、無鉄砲さはあるがそれ故に冷遇されているはぐれ者たちを、それならオマラを守ってくれるしコーエンから買収されていないと言って人選するあたりや、オマラが妻と生まれてくる子どもに相当負い目を感じているところが、今ふうのアレンジというところです。
スターになろうとしてコーエンの情婦となっているグレイス(エマ・ストーン)とオマラの部隊に選ばれながらやや斜に構えたジェリー(ライアン・ゴズリング)のカップルは、より若い世代の甘めのビジュアルでスクリーンに花を添えていますが、オマラとコニーより昔風かも。
テーマとしては、部隊内からも俺たちとコーエンのやっていることはどこが違うという疑問が出されるように、悪と闘うためなら何をやってもいいのか、悪人なら問答無用で撃ち殺していいのかというのがポイントになりますが、この作品ではそう深くは考えずにそれでいいんだと答えているようです。適正手続重視の国と、私たちには思えるアメリカでも、そういうフラストレーションがたまっていると読むべきでしょうか。
また、この映画の悪役、冷酷非情のギャングの親玉ミッキー・コーエンはユダヤ人です。ハリウッド映画でユダヤ人を悪者に描くのはちょっとタブーに挑戦というところでしょうか。実話に基づく以上、設定を変えようがなかったということなんでしょうけど。
**_****_**