庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

たぶん週1エッセイ◆
映画「グロリアの青春」
ここがポイント
 58歳バツイチ女性の性生活と老いらくの恋が前向きに描かれいくつになっても人生を楽しめるさというメッセージが感じられる
 高齢者のセックスがごく普通のことと描かれているのが心地よい。それだけにぼかしがとても残念

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 58歳バツイチキャリアウーマンの恋と生き様を描いた映画「グロリアの青春」を見てきました。
 封切り3週目土曜日、全国5館東京で2館の上映館の1つヒューマントラストシネマ渋谷シアター3(60席)午前9時50分の上映は5割くらいの入り。観客の多数派は中高年層。

 夫と12年前に離婚した58歳のキャリアウーマングロリア(パウリーナ・ガルシア)は、妻に逃げられたシングルファーザーの息子、世界を股にかけるスウェーデン人スキーヤーと恋愛中のヨガ教室を開いている娘の2人の子が独立し、単身、クラブに入り浸っていたが、ある日意気投合した男性ロドルフォ(セルヒオ・エルナンデス)と一夜をともにした。グロリアは一夜限りのつもりだったが、1年前に妻と離婚したというロドルフォはグロリアをデートに誘い交際を申し込んだ。働かない元妻と娘から生活費の送金を求められ仕送りを続けるロドルフォの態度にグロリアは苛立つ。息子の誕生日に元夫の発案で元夫とその妻、息子と娘が集まる会合にグロリアはロドルフォを連れて行き、現在のパートナーと紹介する。家族の思い出話が続く中、ロドルフォはこっそり帰ってしまい、グロリアはその態度に怒る。グロリアを追い続けるロドルフォはグロリアをなだめてリゾートの高級ホテルにたどりついていい雰囲気になるが、そこへ娘から元妻がガラスに飛び込んで怪我をしたという電話が入り…というお話。

 58歳バツイチ女性の性生活と老いらくの恋が挫折・試行錯誤も含めて前向きに描かれ、いくつになっても人生を楽しめるさというメッセージが読み取れます。
 グロリアは58歳でも仕事があり、メイドも雇っている経済的に恵まれた地位にあり、そういう恵まれた環境だから人生を謳歌できるという印象もありますが。
 またロドルフォがいなくなった後、ロドルフォを探して男性トイレに乗り込んで個室の一つ一つまで開けていくグロリアの姿や、カジノで勝った後見知らぬ男とともに酔いつぶれるまで飲む姿は、たくましいとも評価できますが、厚かましさと恥知らずと虚しさ・おぞましさをも印象づけ、否定的な気持ちも呼び起こされそうです。
 グロリアもロドルフォも高齢者ですから美しい裸体とはいえませんが、ヌードもセックスもごく自然な感じで恥ずかしがらずになされていて、高齢者のセックスがごく普通のこととして描かれているのが、心地よく思えました。セックスシーンは何度かありますからR15+指定は当然のことと思いますが、それで興奮するというよりは微笑ましい感じがしました。それだけに、久しぶりに見たぼかしがとても残念に思えました。

 ロドルフォは、グロリアとデート中に娘からかかってきた電話に、今家にいると嘘をつき、グロリアからなぜ私といることを隠すのかと問われます。それに対するロドルフォの答えは、娘に何でも話す必要はない、恥をかきたくないというもの。恥だと思うのならどうしてデートするのだろう。既に離婚していて、また現実に新たな恋心を持ってデートしているロドルフォが、娘が描いている父親像との関係で娘を失望させたくなくて娘に知らせたくないというならわかる気がしますが、自分自身が恥ずかしく思うというのは私には理解できません。こういったロドルフォの姿勢は、ロドルフォがデート中に度々消えてしまうことと合わせて、高年齢男の不器用さと、ロドルフォ自身の恋愛への不向きさを示しているように見えます。ただ、ロドルフォの個性を超えて、男の老いらくの恋は概ね男の独り相撲・独りよがりの挫折と描かれる傾向があるように思え、この作品でもそれが反映されているようにも、私には感じられます。
(2014.3.16記)

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