◆たぶん週1エッセイ◆
映画「グーグーだって猫である」
吉祥寺風物詩+漫画家アシスタントのナオミ(上野樹里)の奮闘青春映画に漫画家小島麻子(小泉今日子)が友情出演という感じ
ぶつ切りのエピソードか吉祥寺風物詩部分を落として、へたな擬音を入れずにグーグーの場面を大幅に増やした方がいい
一応、猫を飼う漫画家の日常を描いた映画、「グーグーだって猫である」を見てきました。
2008年9月6日封切りで9週目、まだやってたのねってところです。
原作は大島弓子の猫との生活をテーマにしたエッセイ風読み切り連載漫画ですが、映画は全然趣が違います。公式サイトには「完全映画化」って書いたるけど、どういうのが「完全」って言うんでしょ。そもそも登場人物からして原作に出て来ない人ばっかりだし、原作にない話ばかりだし、主人公の猫があまり登場しないし・・・
映画を見た限りでは、吉祥寺風物詩+漫画家アシスタントのナオミ(上野樹里)の奮闘青春映画に漫画家小島麻子(小泉今日子)が友情出演(ちょっと言いすぎでしょうか)という感じ。
小泉今日子が、そういう設定なんでしょうけど、喜怒哀楽の感情をほとんど表さずにおっとり間延びした調子でひっそり台詞を言うもので、存在感が希薄です。時間的には当然一番長く出てるんですが、今ひとつ主人公らしくない。アシスタントのナオミの方が、その分感情露わに演技してるので、ずっと印象に残ります。進行のナレーションもナオミの視点ですし。
ただ、小泉今日子の台詞の間延び・穏健ぶり、猫は人間より早く老いる(サバの死)、一夏で老いてしまう少女の漫画とその取材での老人体験、進行した卵巣ガンとその手術というようなエピソードのちりばめ方からすると、隠れたテーマとして老いを語っているのかもしれません。それとしても中途半端ですが。
吉祥寺風物詩的な紹介が結構長く、それを英会話学校教師のポール・ウェインバーグ(マーティ・フリードマン)の語りで、英語でやる(日本語字幕)のが、洒落たイメージを狙ってるんでしょうけど、日本人が歩く人混みを映しながら英語で説明されても違和感しか感じません。タイから来た象のハナコにタイ語で話しかける飼育係のエピソードが入ってることからすると、ひょっとしたら猫側の視点を意識させる効果を狙ってるのかもしれませんが、猫の登場シーンがごく限られているので、そういう気持ちも持てません。
ストーリーも、エピソードがぶつ切りの感じで、見終わっても何だかなぁという感じ。
グーグーの前に飼われていた死んだサバが人間として登場(大後寿々花)するのは、「グーグーだって猫である」よりも、「綿の国星」のイメージですが、それなら猫耳を立てておいて欲しかったですね。
グーグーの映像は十分かわいかったので、ぶつ切りのエピソードか吉祥寺風物詩部分をもっと落として、へたな擬音を入れずにグーグーの場面を大幅に増やした方が、話のできに不満を持つ観客もなだめやすかったと思います。
映画のはじめに制作関係会社のロゴに続いて花王の商品名入りコマーシャルが入っているのもビックリ。志のレベルを感じます。
(2008.11.2記)
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