庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

たぶん週1エッセイ◆
映画「グラン・トリノ」
ここがポイント
 人種偏見、家父長的な価値観、男の美学に違和感を感じるかどうかが、作品への評価を分けそう
 エンディングは意外だが、映画としては、観客の予想をというよりは期待を裏切っているように思える

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 朝鮮戦争帰還兵でフォード組立工だった頑固爺と隣に引っ越してきたモン族の青年の心のふれあいを描いた映画「グラン・トリノ」を見てきました。
 封切り3週目日曜の初回上映は半分くらいの入りでした。

 ウォルト・コワルスキー(クリント・イーストウッド)は、朝鮮戦争帰還兵でフォードの組立工として勤め上げて引退し、息子たちも独立して妻と2人暮らしでしたが、妻に先立たれ、一人暮らしになります。息子たちとの折り合いは悪く、息子や孫は財産分けに心を奪われ、誕生日にケーキを持って施設への入居を迫りに来る始末。人種的な偏見を持つウォルトは、隣に引っ越してきたモン族の家族とも対立しますが、隣の娘スーが黒人の不良たちに絡まれているところを助けて、ベトナム戦争時にアメリカ軍の味方をし故郷にいられなくなってアメリカに移民してきたモン族の歴史を聞かされ、隣の息子タオが不良のリーダーとなった従兄のスパイダーからウォルトの愛車グラン・トリノを盗むように唆されて失敗しそのためにスパイダーらが嫌がらせに来たのを撃退したことからモン族に感謝され、タオが手伝いに来るようになって、モン族とタオに心を開いていきます。執念深くタオたちに嫌がらせをするスパイダーらに怒ったウォルトはグループの1人を殴りつけてタオに近づくなと脅しますが、不良グループはタオの家に銃を乱射しスーをレイプします。復讐を誓うタオを抑えて一人敵地に乗り込んだウォルトは・・・というストーリーです。

 ウォルトは頑固な偏屈爺と描かれていますが、その象徴のシーンが妻の葬儀の席に現れた孫娘のへそピアスや葬儀中に携帯をいじくる姿へのしかめ面というのでは、私もウォルトの方に肩入れしたくなります。ふだんならともかく、祖母の葬儀の席にヘソ出しルックでへそピアス着けてくるとか、神父が葬式の説教しているときに携帯いじくってるのは、見とがめるのが偏屈なんじゃなくて、そいつが非常識なんだと思います。
 その後の親族や神父への言いぐさはちょっと言い過ぎの感がありますが、親族の方も結局は遺産にしか興味がない感じですし、神父も妻から頼まれているから懺悔しろでは言われる方からすればお節介もいいところですから、いい勝負って感じもします。床屋のオヤジとの憎まれ口のたたき合いも、お互いにそれを楽しんでいるわけですし。

 ウォルトの人種偏見はかなり強烈というか根深いものを感じますし、自信を持てないタオを一人前の男にするというサブストーリーからも、いかにも化石のようなマッチョな(作っている側の意識ではたぶん「ダンディな」)価値観が貫かれています。
 時代遅れのマッチョな価値観を堅持しているけれども、戦争中の殺害による罪の意識が影を落とす、影のある男の美学という線が、ラストにも反映されています。
 そういった人種偏見、家父長的な価値観、男の美学に違和感を感じるかどうかが、作品への評価を分けそうです。

 エンディングは、確かに意外であり、ある種の感動を呼びますが、現実の話としてでなく映画としてみたときには、観客の予想をというよりは期待を裏切っているように、私には思えました。宣伝文句で「満足度異例の97%、リサーチ史上No.1」と謳っていますが、映画としてこのラストに満足感を覚える観客がそんなにいるのでしょうか。 

(2009.5.10記)

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