◆たぶん週1エッセイ◆
映画「法廷遊戯」
刑事司法の現実に絶望し怨念を持ちつつも刑事司法に賭けざるを得ない結城の苦悩が悲しく切ない
「無辜ゲーム」の描写が戯画化されすぎているのと、終盤の事件の真相が創傷の態様や指紋の付き方と整合するのかに疑問を感じた
メフィスト賞受賞の法廷ミステリーを映画化した「法廷遊戯」を見てきました。
公開2週目日曜日、新宿バルト9シアター3(148席)午前10時40分の上映は4割くらいの入り。
久我清義(永瀬廉)が通うロースクール(法科大学院)では、唯一現役で司法試験合格済の結城馨(北村匠海)が主宰して告発者の主張を証拠書類と指定する証人の証言により判断する「無辜ゲーム」が開催されていた。ある日久我がかつて収容されていた施設の施設長を刺したことを指摘し殺人未遂を犯した者が法曹になる資格があるのかを問うチラシがばら撒かれ、久我は「無辜ゲーム」での審判を求めた。その後、かつて久我と同じ施設に収容され今はロースクールの同級生の織本美鈴(杉咲花)のアパートにもその過去を問うチラシがアイスピックで刺されるなどの嫌がらせがあった。2年後、司法試験に合格し弁護士となっていた久我に、結城から久しぶりに「無辜ゲーム」を開くことになったと呼出があり、久我が会場に赴くと、そこには…というお話。
あくまでも久我と織本の視点で描かれているのですし、久我と織本にも苦悩があって、その境遇から庶民の弁護士としては久我と織本に共感するべきなのだろうとは思いますが、結城の刑事司法の限界に対する絶望・諦念・怨念と、しかし刑事司法に賭けざるを得ない苦悩と期待の方に涙してしまいました。たぶんそちらがテーマであり、また味わいどころの作品なのだと思います。
原作では「無辜ゲーム」は最後の「無辜ゲーム」/事件の前には3回だけでいずれも事件との関係があったことが説明され、会場もロースクールの模擬法廷ですが、映画では一般的に「無辜ゲーム」が繰り返されていたという描き方で、最初に出てくるものは事件との関連性の説明もなく(告発者の様子もちょっと異常な感じですし)、ロースクール内の「洞窟」(そんなものがあるんかい?)で行われるといった点で荒唐無稽というか現実感が希薄でした。また、原作ではその「無辜ゲーム」でどのような制裁を科すべきかが論じられ、その中で結城が「同害報復」(目には目を)を語り、この結城の考えが作品の中で重要な意味を持たされているのですが、映画ではその説明がなく、「同害報復」は結城の研究テーマとして出てくることになります。私には、原作の説明の方がしっくり来ました。
その他、弁護士的な感覚では、映画では久我が公判期日に突然提出した映像を、裁判官が休廷もせず自分で中身を確認せず検察官に中身を見る機会も与えないままに法廷で再生させる(原作では、いったん休廷し、裁判官と検察官が内容を見てから、再度開廷した上で再生)というのはありえないとか、終盤で語られる事件の真相が被害者の創傷の態様やナイフへの指紋の付き方と整合するんだろうかという疑問を感じました。
他にも、原作では事件発生は久我が弁護士になる直前(映画では弁護士になったあと)、久我の事務所はビルの地下(映画では2階で自宅兼用)、事務員がいる(映画ではいない)、刑法担当の奈倉は若手の准教授(映画では柄本明)などの設定の違いがありますが、そういった点以外はわりと忠実に原作をなぞっているように思えました。(2023.11.19記)
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