◆たぶん週1エッセイ◆
映画「一枚のハガキ」
戦争が、前線の兵士の命を弄び、その家族を引き裂き不幸にすることを、かなりストレートに主張した反戦映画
中年おじさんとしては、友子が若いイケメンの三平よりも中年のおっさん丸出しの定蔵を思い続けている姿にホッとする
99歳の日本最高齢映画監督新藤兼人が自らの体験に基づいて製作した反戦映画「一枚のハガキ」を見てきました。
封切り3週目土曜日、東京で2館の上映館の1つテアトル新宿の午前11時の上映は7割くらいの入り。観客層は圧倒的に中高年でした。
第2次世界大戦終盤の1944年、海軍から天理教本部の清掃に派遣されていた中年部隊100人は、清掃業務が終了し、次の派遣先を上官が引くくじで決められた。くじでタカラヅカ歌劇団の清掃に回された10人のうち1人の松山啓太(豊川悦司)は、くじでフィリピン行きの60人に入った二段ベッドの上側の戦友森川定蔵(六平直政)から、妻から来た一枚のハガキを託され、自分は死ぬことになるが返事を書こうにも検閲が厳しくて「後は頼む」とさえ書けない、生き残ったら妻を訪ねてこのハガキを確かに見たと伝えてくれと頼まれる。定蔵の戦死の報を受けた妻森川友子(大竹しのぶ)は、義父(柄本明)に頼まれて家に残り、長男が死んだら次男が後を継ぐのがしきたりだ、次男の三平と結婚して欲しいと言われ、承諾すると、すぐに三平(大地泰仁)がやってきて慌ただしく祝言が行われ直ちに初夜を迎える。しかし、ほどなく三平も召集され、戦死してしまう。その後、義父は心臓発作であっけなく死に、義母はその後を追い、友子は田舎の古家に取り残され、村の顔役の吉五郎(大杉漣)に言い寄られる日々を過ごしていた。タカラヅカで終戦を迎えた啓太は、自分は戦争で死ぬものと思っていたので妻にハガキを出さずにいたが、今から帰ると初めてハガキを書いて帰ったところ、家はもぬけの殻だった。近所に住む伯父(津川雅彦)の話では、啓太が戦死したという噂が流れ、妻(川上麻衣子)と父ができてしまい、おまえのハガキを見てびっくりして2人して大阪に逃げたという。呆然として仕事も手に付かずだらだら過ごしていた啓太は、ブラジルに行くことを決意し、身辺を整理しているうちに、忘れていた定蔵から預かったハガキを見つけた。啓太は、ハガキを手に友子を訪ねるが・・・というお話。
設定や映像には、今ひとつ切迫感とかリアリティを感じにくい。戦争末期で中年男子も召集されているという設定で定蔵が応召し戦死しているのに、それよりずっと若く健康な三平がそれまで召集されずに定蔵の戦死後に召集されるとか、終戦直後の食べることに必死の時代に啓太がつり上げた立派な鯛をそのまま逃がしてしまうとか、設定からしてずっと着たきりか洗いざらしのはずの友子の絣がいかにも新品できれいとか。
おそらくは、あえて全体に嘘っぽさ、安っぽさを漂わせ、戦争体制とか、国家とか、英霊とか、上官とか、村の顔役とかのうさんくささ滑稽さを際立たせようということかなと感じました。
戦争で引き裂かれた友子の定蔵への思い、定蔵を奪われた悔しさが胸に響きます。応召して周囲の人々の見送りも途絶えた後山道を行く定蔵をずっと追いかけていく友子、義父の頼みに従いながらときに大声で叫ぶ友子、三平にのしかかられながら心ここにあらずの友子・・・。三平も戦死した後、友子の口から出るのはほとんど定蔵のことだけで、中年おじさんとしては、友子が若いイケメンの三平よりも中年のおっさん丸出しの定蔵を思い続けている姿にホッとします。まぁ定蔵とは幼なじみで16年連れ添ったわけですから、これでほんのわずかな期間夫婦だったイケメン男の弟の方がいいって言われたら、悲しすぎますが。
戦争が、前線の兵士の命を弄び、その家族を引き裂き不幸にすることを、かなりストレートに主張した反戦映画で、リアリティを重視し主張は抑えて堪え忍ぶ姿から感じさせるというタイプを好む人には違和感があるかもしれません。しかし、あからさまな主張部分を置いても、大竹しのぶの耐える姿とときとしてぶつける激情に感じ入る映画でもありました。
(2011.8.20記)
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