庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

たぶん週1エッセイ◆
映画「糸」
ここがポイント
 小松菜奈の耐えというか溜めがラストに効いてくる、そこに悦びというか救いを見るという作品
 人それぞれというか、高齢者と若年者で「平成の30年間」は大きく違うということを実感する
  
 中島みゆきの歌「糸」から作った北海道生まれの2人の行き違い恋愛映画「糸」を見てきました。
 公開3日目日曜日、新宿ピカデリーシアター1(580席/販売267席)午前11時の上映は60人前後の入り。

 13歳の時、美瑛町花火大会をめざして親友竹原と自転車で急ぐ橋漣(13歳時:南出凌嘉)は勢い余って転倒し、親友後藤弓とともに花火を見に来ていた園田葵(13歳時:植原星空)から絆創膏を差し出されるが、葵の左手の包帯を見て「大丈夫?」と問いかけた。漣のサッカーの試合を差し入れの弁当を持って見に来た葵に、漣はこんなうまいもの食べたことないと目を丸くし、葵は喜ぶ。美瑛の丘で将来日本代表になって世界を転戦するのが夢だと語った漣は、葵が好きだと叫び、葵はうれしいと言うが、「帰りたくない」という葵に、漣は、また明日会えるよと答える。翌日から学校に来なくなった葵を探して札幌のアパートを訪ねた漣は、右目にあざを作り眼帯をした葵を見つけ、葵を連れて逃げる。翌日、警察に発見されて2人は握りあった手を引き離され、別々の人生を歩むことになる。8年後、東京で行われた竹原(成田凌)と後藤(馬場ふみか)の結婚式で、漣(菅田将暉)は葵(小松菜奈)と再会するが、少し言葉を交わしただけで、葵は迎えに来た男(斎藤工)の外車に乗り立ち去ってしまう。漣は勤務先のチーズ工場の先輩桐野香(榮倉奈々)とつきあうようになり…というお話。

 行き違いでじらして、最後はこうなるしかないと予想できていても、それでもラストには鼻がツンとしてしまいました。率直に言ってじらす過程はあまりうまくないし、9.11もリーマンショックも東日本大震災もうまく使えていないというか別にそのエピソードを使わなくてもいいのに一応触れておきたかったくらいの感じですが、小松菜奈の耐えというか溜めがラストに効いてくる、そこに悦びというか救いを見るという作品かなと思います。

 冬の北海道で空きロッジの窓ガラス割って入って夜明かししたら凍死するんじゃないでしょうか。
 沖縄に住んでいる葵、少しくらいは日焼けして役作りして欲しい。
 葵が母親を訪ねて来て漣が函館に住む葵の伯父のところまで車で送って行った日、半日以上行動をともにして(美瑛から函館までは約460km:GoogleMapは6時間と計算)アドレスも携帯番号も交換しないものでしょうか。その後に、まさに携帯がなかった時代でないと考えにくいすれ違いを作るためとはわかっていますが、ちょっと釈然としません。
 シンガポールで親友の裏切りによって会社が破綻したとき、銀行から求められた返済が、水島(斎藤工)にもらった金でまかなえてしまうって、どういう…
 震災から7年が過ぎても津波のトラウマに悩まされているという妻利子(二階堂ふみ)の前で、竹原が「ファイト」の「冷たい水の中をふるえながらのぼってゆけ」とか「暗い水の流れに打たれながら」とか歌い、漣が合いの手を入れるというのは、どういう考えでしてるんだろうと思います。
 最後の函館のシーン、葵はスーツケースをどうしたのでしょうか。

 終盤にテレビ局が都庁前で通行人に自分にとっての平成年間についてインタビューをしているシーンがあり、人それぞれに違うということを感じさせますが、この作品が取り上げたとされる「平成の30年間」自体が、阪神大震災や地下鉄サリン事件(平成7年)は触れられもせず、漣が工房のチーズが著名レストランで採用された挨拶で失敗作をフードプロセッサーにかけたら娘がおいしいと言ってというだけで止まってしまい田中耕一のノーベル賞受賞(平成14年)の際の失敗した試料がもったいないから分析したら成功につながった話とかまったく頭にないとか、私のような中高年者にとっての平成の30年間と、平成元年生まれの若者にとっての平成の30年間はまるで違うものだと思い至り、その気づきに意味があるのかもとも思いました。
(2020.8.23記)

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