たぶん週1エッセイ◆
映画「ベティの小さな秘密」

 10歳の少女の心の揺れと成長を描くフランス映画「ベティの小さな秘密」を見てきました。
 封切り6週目土曜日、もうすぐ打ち切りというので、今のうちと思っていきました。

 優しさと謹厳さを併せ持つ精神病院院長の父(ステファヌ・フレイス)と、元ピアニストで別の男と交際し家を出ようとしている母(マリア・ド・メデイルシュ)のもとで、姉が寄宿学校に行ってしまい、母は出ていき、父の帰りは遅く、学校から帰ると家事をしてくれる話せない患者ローズ(ヨランド・モロー)と2人、孤独を感じていた10歳のベティ(アルバ=ガイア)が、精神病院を抜け出した若く傷つきやすい患者イヴォン(バンジャマン・ラモン)を納屋に匿っていたが、納屋が使えなくなり、学校で信頼していた友人に裏切られていじめられ、かねてから気にかけていた野犬収容所の犬ナッツが殺される日が迫ったのに父から引き取りを拒否され、思いあまって自殺を図るが思い直し、イヴォンとともにナッツを連れて逃避行を図るというお話です。

 家のすぐ隣が精神病院で扉を開けるとコミュニケーションのとりにくい人たちがたむろしていたり行き来している、家のまわりには森が広がり夜は暗い、湖を越えて向こうには人気のない屋敷がありお化け屋敷のよう・・・と、どこか不気味さ・不安感を醸し出す環境と風景が設定されています。
 その中でベティが動くことで、ベティの不安感・恐怖感・哀しさが、映像的にもよく描かれています。

 全体として、10歳の少女の、お化けなどへの恐怖と不安などに象徴される子どもっぽさと、親の言動への理解と批判的な見方などに象徴される大人っぽい側面、そのバランスとアンバランスというか、その中で揺れながら成長する様子が、この映画の中心テーマとなっています。娘を持つ父にとっては、ベティが父親に投げかける言葉の大人びた様子に、ドキリとさせられるとともに、この年頃の子どもって意外にもうわかってるんだよなと頷いてしまいます。本当の意味で大人の会話をわかっているわけではないけれども、大人が思っているよりはわかっているし、自分ももう一人前だと認識して欲しいと思っている様子。このあたりの少女の思いが、よく描けていると思います。
 予告編では、「2人と1匹の小さな逃避行がベティをちょっぴり大人に変える」としていて、映画の流れとしてもそうなんですが、ベティの父親との会話を見ていると、両親の離婚の危機に直面しながら、この子はすでに十分成長しているように見えますし、イヴォンの件がなかったとしても成長を見せると思います。その意味でイヴォンへの恋愛感情や逃避行は映画の道具立てで、テーマはやはりベティそのものの成長にあります。
 そしてストレートな成長だけじゃなくて、不安や悔しさ、哀しみ、喜び、はにかみ、とまどい、様々に思いまどうところも含め、子どもと大人の狭間での少女の様子が描かれているとことがよかったと思います。

 日本語タイトルは、どちらかといえば、イヴォンを匿うこと・イヴォンへの恋愛感情・逃避行を前に出していますが、原題は“Je m’appelle Elisabeth”(私の名前はエリザベス)。もう子どもっぽい愛称の「ベティ」じゃなくて、一人前の大人として本当の名前の「エリザベス」で呼んでねという意味で、私はもう一人前なんだというベティのアピールを示しています。内容的には、やはり原題の方があっています。ただ、子ども時代には名前を簡略化した愛称で呼ぶことがすぐにイメージできない日本人には、原題のそのまま日本語訳では違和感があるでしょうね。

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