庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

たぶん週1エッセイ◆
映画「怪物」
ここがポイント
 見えている事実も、それを前提とした評価も人それぞれであり得る、「藪の中:羅生門」の現代版と思える
 しかしラストの不統一は釈然としないものが残る
    
 2023年カンヌ国際映画祭「脚本賞」の映画「怪物」を見てきました。
 公開3日目日曜日、新宿ピカデリーシアター2(301席)午前11時20分の上映はほぼ満席。

 クリーニング店に勤めるシングルマザーの麦野早織(安藤サクラ)は、小学5年生のひとり息子湊(黒川想矢)が、ブタの脳を移植したらそれは人間?と聞く、自分で髪を切る、スニーカーを片方なくす、水筒に泥を詰めて帰ってくるなどしたことに不審を感じ、問い詰めて、担任の保利(永山瑛太)に殴られたとの答えを得て学校に乗り込むが、保利は事実を認めようとせず、ただ誤解があったことは残念だと頭を下げ、教頭(角田晃広)や校長(田中裕子)も形だけ謝罪の言葉を述べ続けるのに対して切れる。保利を追及するうち、保利から湊が同級生の星川依里(柊木陽太)をいじめていると聞かされた早織は依里の自宅を訪ね、そこで湊のスニーカーの片方を見つけ…というお話。

 最初に麦野早織の視点から真相を隠し誠実に対応しない学校の無責任ぶりを描き、次いで保利の視点から早織のモンスターペアレントぶりを描き、最後に湊の視点から大人は何もわかってないという描き方をしています。
 我が子かわいさに視野狭窄に陥った保護者が、自分の目に映ったことを真実と頑迷に思い込み暴走するモンスターペアレントの「怪物」ぶりを描いた(ついでに、その依頼を受けて内容証明を送った弁護士も同罪として貶める)作品と見るべきでしょうか。
 そう思った次には湊の視点で保利の認識もまた誤解であることを示していることからして、そういった色彩を残しつつもそれにとどまらず、それぞれが認識する事実も、それに基づく評価も、完全ではない、自分に見えていない事実がきっと/必ずあり、自分が見落としたり重んじていないことを考えれば自分の評価が適切でないこともある、さらにいえばみんなの目から見て正しい評価などというのはそもそもないのではないかということを言いたいのだろうと思います。「藪の中:羅生門」の現代版というところでしょう。
 ここまで来ると、最後の湊の視点からの描写が真実といえるかも、疑ってみるべきなのだろうと私は思います。
 そういうつくりなので、3者の視点を経てもなお真相がわからないものも残されています。猫の死の原因、保利の自宅のドアノブにかけられていたものは誰が持ってきたのか、校長の事故の真相、冒頭のビル火災等々
 それぞれの視点の話のラストが統一されていないのも、これも観客の解釈/想像力に任せるということなのか、そこは少し気持ち悪いというか釈然としないものが残りました。
(2023.6.4記)

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