たぶん週1エッセイ◆
映画「神様のカルテ」

 2010年度本屋大賞2位作品を映画化した「神様のカルテ」を見てきました。
 封切り初日土曜日、ナンバー1スクリーン580席を充てた新宿ピカデリー午後1時10分の上映は8〜9割の入り。今週末はハリーポッターと死の秘宝を追い落とせるかも。
 観客層は、若い女性コンビが多数で、次いで若いカップル、次いで嵐ファンの中年女性層、宮崎あおいファンの中年男性層というところ。

 長野の地方都市にある本庄総合病院の消化器内科医栗原一止(櫻井翔)は、当直で救急外来をほとんど断れず徹夜勤務を続け、休む間のない激務に追われていた。一止とともに2人だけで消化器内科を担当している先輩医師古狸こと貫田(柄本明)の勧めで信濃医大病院に研修に行った一止は、患者の診療方針について多数の医師が参加して協議するカンファレンスや手術を通じて高山教授(西岡徳馬)に見いだされセミナーへの参加を求められる。手術困難な部位の胆嚢癌を患った患者安曇雪乃(加賀まりこ)は信濃医大病院に手術を求めて来院するが、一止が担当して抗癌剤治療を選択したため、手術を拒否され、6か月の余命と宣告され、途方に暮れ、取り寄せたカルテの真摯な記載を見て一止を探し出して本庄病院を訪れる。大学病院への誘いと地域医療の激務・待っている患者たちの間で思い悩む一止は、妻榛名(宮崎あおい)や古い旅館で同居する仲間たちに温かく見守られながら過ごしていたが、安曇の病状は次第に悪化し・・・というお話。

 救急外来の激務と、その現実の中で栄達の道よりも現場を選ぶ医師というパターンは、私のまわりでも見聞きしますし、そういう医師たちがいるから救急医療が回っているのだと思います。それ自体は、感動すべき話ですが、そういう個人の犠牲的精神に頼ることは制度としては問題で、本当はそうでなくてもやっていける制度を作らなきゃいけないのに、という部分が感動話の陰に隠れてしまう危険は常々考えておきたいところです。
 それはおいて、大学病院での研究の名誉よりも苦しい現場を選ぶという点では、だってその方がおもしろいじゃないとかバカだねぇ後悔するよとか笑っていえる貫田医師の方がかっこよく見えるし、激務を淡々とこなす救急外来看護師長(吉瀬美智子)がまたかっこいい。もっともそこは、櫻井翔があえてかっこよく演じないでさえないふうに見せていると見るべきなんでしょう。

 ことあるごとに漱石の小説の言葉を引用する一止の古い言い回しや、同期の主任看護師(池脇千鶴)が昼食に誘ったりいたわりを見せる度に「好意はありがたいが、僕は妻がある身なのでそういう申し出は・・・」とか言ってあきれられるズレっぷりなどで、激務の現場の映像の緊張をほぐし、人間味のある医師をイメージさせようとしています。古風な言い回しは、一止だけじゃなくて、榛名も古い旅館の同居人たちも同じ。病院の中以外はタイムスリップしたような感じです。そのあたりにホッとするか、違和感を感じるかで映画の印象がだいぶ違ってきそうです。
 古い旅館の同居人たちについては、特に説明なく出てくるので、激務に追われる一止が妻のみならずそういうまわりの人々との関係で支えられているのねという印象は残りますが、やや唐突感というか蛇足感もあります。

 メインストーリーの患者安曇の最後の幸せな時間の話。患者側の話としては、それはそれでわかるんですが、その充実感は、医師がもたらすべきなんだろうかという点に疑問を感じました。そこは、看護スタッフの方で担当し対応する領域じゃないのかなぁ。そこまで医師が対応すべきっていうのは、ただでも激務に追われる現場の医師に無い物ねだりをすることになるだろうにと思いました。

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