庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

たぶん週1エッセイ◆
映画「決算!忠臣蔵」
ここがポイント
 何をするにもお金がかかる、目標を実現するのに手許金が足りないという話は、身につまされる
 戦争(いくさ)という言葉が卑怯な攻撃手段を正当化する、そういう光景が日常化しているのは哀しい
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 お家取り潰し後の浅野家の家臣たちの行動を残された者たちの利害得失と財政面から描いた歴史コメディ「決算!忠臣蔵」を見てきました。
 公開7週目日曜日、新宿ピカデリーシアター8(157席)午前11時の上映は5割くらいの入り。

 お家取り潰しとなり幕府から城の明け渡しを求められた赤穂藩では、籠城仇討ちを主張する家臣たちと幕府に従った上でお家再興を申し出ることを望む親族たちに挟まれた筆頭家老大石内蔵助(堤真一)が、幼なじみの勘定方矢頭長助(岡村隆史)から藩の財政について知らされ、籠城戦を行うなら割賦金(退職金)の原資が大幅に減ることを伝えられて、家臣たちの士気が一気に下がったこともあり、城の明け渡しとお家再興申し出で意見をとりまとめた。残務整理が進む中で、かき集めた資金を浪費し続ける内蔵助に矢頭は釘を刺し嘆息し続けていた。赤穂でも江戸でも仇討ちを切望する侍たちが内蔵助らの態度に不満を持ち続け、江戸では将軍綱吉への反感もあり仇討ちを期待する町人たちの声が高まっていた。内蔵助らが期待した吉良への処分は吉良上野介の隠居により望みがなくなり、お家再興も絶望的になり、侍たちの突き上げに内蔵助は討ち入りを決意するが、それまでに浪費が続いたために手元にある資金は討ち入りに必要な額に届きそうになく…というお話。

 内蔵助の浪費体質(妾が4人とか10人とか、3日にあげずの郭通いとか)からして自業自得とは言えますが、何をするにもお金がかかる、目標を実現するのに手許金が足りないという話は、コメディではありますが、身につまされます。

 資金に窮する現状を直視せずに、見栄を張り贅沢を言う侍たちが、討ち入りの計画で、吉良邸の戸にかすがいを打ち込んで侍たちが出てこれないようにした上、両脇から飛び出してくる侍は弓矢で射殺し、その後で出てくる吉良方の侍に対しては1人に対して3人組で対応して前の1人が斬り合うところへ後ろの2人が飛び出して行って両側から斬り殺すと説明され、さすがに「それは卑怯」なんじゃないかと質問したのに対して、内蔵助が、「これは戦や」と答えて、議論が収まるというシーンがあります。しょせん、武士道とか見栄を張る者たちの志はこの程度というところでしょうか。
 実際、戦争は、いかに自軍の損耗を避けつつ敵軍にダメージを与えるかを目標として、言い換えればいかに卑怯な攻撃をすることを可能にするかを目指して、戦術を変化させてきました。素手の攻撃から武器という名の凶器の開発・使用へ、自分が攻撃されない距離から攻撃できる飛び道具の開発・使用、その距離の拡大、航空機からの爆撃、そして近年は無人機(ドローン)からの攻撃と。日頃、犯罪を憎み(憎んでいると表明し)犯罪者を声高に糾弾し、また武士道とかフェアネスを重んじる(重んじると言っている)人たちが、こと「戦争」というマジックワードに触れた途端、殺人を肯定し(少なくとも糾弾せず)、空爆やドローンからの攻撃も非難せず正当化するのは、すでに見飽きた光景とさえ言えて、珍しくもないのですが。

 お家取り潰しから討ち入りまで1年9か月。ずいぶんと長い期間が過ぎているように思えますが、自分の仕事になぞらえてみれば、不当解雇から裁判を経て解雇無効の判断をもらって現実に復職させる場合(この場合も、過ちをただして正義を回復する場面と言えると思いますが)、おおかたそれくらいの期間がかかるのが現実です。その間の生活費を心配しながら闘うことになる(蓄えや家族・親族の収入に頼れないときは、失業保険、仮払い仮処分、他企業への就職/アルバイト等という手段がありますが)ということも似ています。大きな相手と闘うということは、そういう困難があり、覚悟を要するということでありましょう。
(2020.1.5記)

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