◆たぶん週1エッセイ◆
映画「きみはいい子」
教師の対応の難しさを考えさせられる。教師への過剰な期待に無理があると感じた
家族に抱きしめてもらうという宿題を機に生じる子どもたちの変化が感動的
不器用な新米教師、児童虐待をしてしまう母親、認知症の影が忍び寄る独居老人を通じてふれあいの欠落と優しさの価値を描く映画「きみはいい子」を見てきました。
封切り3週目日曜日、テアトル新宿(218席)午前11時の上映は5割くらいの入り。
桜ヶ丘小学校4年生の担任の新米教師岡野(高良健吾)は、児童がチャイムを押して回ったという苦情を受けて学年主任とともに謝罪してまわり、ホームルームで児童にもうやらないように注意していたら児童の一人が失禁し、母親から先生が怖くてトイレに行きたいと言えなかったと責められ、授業中でもトイレに行ってよいと宣言することを約束させられ、調子に乗った児童たちが次々授業中にトイレに行くと言い始める。夫がタイに単身赴任中で3才の娘あやねと2人暮らしの水木雅美(尾野真千子)は、自身が親から虐待され煙草を押しつけられた手首の傷を隠しながら、あやねが失敗したりいうことを聞かないと激しく折檻しつつ、自己嫌悪していた。東京大空襲で両親と弟を失った独り暮らしの老人あきこ(喜多道枝)は、忍び寄る認知症の影に戸惑いつつ、行き帰りに機械的に挨拶する特別学級の児童櫻井弘也(加部亜門)としか話さない日々を送っていた。あきこは弘也を通じて桜ヶ丘小学校と関係ができ、雅美は特別学級の教師拓也(高橋和也)の妻陽子(池脇千鶴)とママ友としてつきあうようになり、教室崩壊状態になった岡野は児童に「今晩、家族の誰かに抱きしめてもらってくる」という宿題を出し…というお話。
授業中に生徒が失禁したとき、教師はどう対応すべきなのだろう。岡野は、保健係に失禁した児童を保健室に連れて行きなさいといい(保健係の児童は、当然のように、いやだという)、自らはモップを取りに行き床を拭こうとしました。映像で見ている時は、ここは掃除よりも失禁した児童のケアだろうと思いましたが、考えてみると、床掃除を児童にやれといってもやらないでしょうし、教師が保健室まで連れて行ったら授業はどうするのか、教室が大騒ぎになれば他の教室にも迷惑ですし。今どきは、児童数が減って教師があまり気味なこともあり、副担任が常駐する学校もあるようで、そうなれば対応しやすいのでしょうけれど、教師というのも難しいものだと思ってしまいました。
岡野の対応は、いかにも粗雑なデリカシーに欠けるものと見えましたが、考えてみたら、標準的な人間の感覚はあれくらいなのだろうとも思えます。「先生」ということで/そう呼ぶことで、過剰な期待をしてしまうことに無理があるのだなとも思えました。
家族に抱きしめてもらうという宿題を機に、やんちゃなガキどもも、素直な側面を見せ目がきらきらしてくる、この変化が感動的です。しかも、そこでハッピーエンドにせず、それでもその動機となった子については問題が解決しない/簡単にはいかないところも描いているところが秀逸です。
自らも親から虐待された過去を持つ雅美の娘への折檻シーン。どういう理由があっても、幼い子への暴力は、胸が痛みます。それも、恥をかかせるんじゃないとか言って殴ったり、ママとおそろいの靴を履きたがったあやねが転んだシーンで、転んだ娘に大丈夫かとも聞かずに靴が壊れたことを詰るって、どういう神経だろう。友だちの母陽子から、「うちの子になる?」って聞かれて、2度とも「やだっ」って言って雅美にしがみつくあやねの姿を見て、いじらしさとともに、幼い子にとってはどんなに虐待されても母親に頼るしかない母親にしがみつくしかない現実を再認識させられます。そんな健気な姿を見ても、ぎゅ〜って抱きしめたくならないのかなぁ。
(2015.7.12記)
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