庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

たぶん週1エッセイ◆
映画「岸辺の旅」
ここがポイント
 夫の/妻の知らない側面、あり得た姿を、想像し、知らないこと、あり得た道に進めない状況に謙虚に思いを馳せることで、相手をいとおしく思う、そういう機会を与える作品なのだと思う
 ただ、それを素直に感じるには、優介の態度は横柄に過ぎると思う

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 死んだ夫とともに旅をする過程で知らなかった面を見つけていくという設定の恋愛映画「岸辺の旅」を見てきました。
 封切り3週目日曜日、テアトル新宿(218席)午前10時30分の上映は、5割くらいの入り。

  ピアノ教師として働く藪内瑞希(深津絵里)の前に、失踪して3年になる歯科医の夫藪内優介(浅野忠信)が現れ、「おれ、死んだよ」と告げ、死んでさまよっている間にたくさん美しいところを見た、みっちゃんに見せたいと言って旅に誘う。優介に連れられて谷峨(神奈川県西部の山中)を訪れた瑞希は、優介が世話になった新聞屋島影(小松政夫)を紹介され、優介が島影のパソコンの修理をしようとする姿を見、島影が優介と同様死んでいるのだが本人はそのことに気づいていないと知らされて驚く。町の中華料理屋で餃子を作る姿や、農村で人々に光や宇宙の講義をする姿を見せられ、瑞希は優介の知らなかった面を知ることとなったが…というお話。

 夫の死後、夫の幽霊とともに、夫が死後に暮らしてきた場所を再訪して周囲の人の話を聞きそこでの夫の幽霊の過ごす姿を見るという設定で、夫が妻には見せなかった一面を垣間見て、知らなかった夫の姿を知るということがテーマとなっています。
 その知らなかった一面は、おそらくは夫にとっても現実の人生では経験できなかった、よりのんびりした生活でのややのびやかな自分でもあろうと思います。
 そういう夫の/妻の知らない側面、あり得た姿を、想像し、知らないこと、あり得た道に進めない状況に謙虚に思いを馳せることで、相手をいとおしく思う、そういう機会を与える作品なのだなぁと感じます。

 ただ、観客としては、瑞希の視点で見ていくことになり、優介の態度は、どう謝ればいいかという戸惑いがあると言われても、ちょっと横柄というか反省が感じ取れないように思えます。3年間失踪状態で心配させていながら、謝る言葉一つなく、妻の写経を見て(私など、それを見るだけで妻の心境を思い少し涙ぐんでしまいますが)ただ「汚い字だなぁ」とか、不貞が発覚してもやはり謝らず終わったことだとかどうでもいい女だったとか。そういう態度でも、妻が夫に付いていくのが「究極のラブストーリー」(公式サイトのキャッチ)なんでしょうか。

 優介の身体は蟹に食われてなくなっているっていう設定、なんとなく宮澤賢治の「やまなし」(蟹の子どもらが話していました…クラムボンは死んだよ…とかいう教科書でも見るやつ)を連想してしまいました(いや、クラムボンは蟹に食われたんじゃないでしょうから、そういう連想はおかしいんですが)けど、死体が蟹に食われるためには死体は浮かばずに海底になきゃいけないわけで、そうすると優介は、暴力団に海に沈められたのか(事故や自殺なら、死体は浮くでしょ)とか、死因についても余計な詮索をしたくなります。
(2015.10.12記)

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