たぶん週1エッセイ◆
映画「敵こそ、我が友」

 ナチスの戦犯で戦後アメリカのスパイとなり南米の独裁政権下でも暗躍したクラウス・バルビーをめぐるドキュメンタリー映画「敵こそ、我が友 戦犯クラウス・バルビーの3つの人生」を見てきました。

 映画は、かなりシンプルに、記録映像、写真、関係者のインタビューを中心に、時代順に進んでいきます。
 ナチスの親衛隊(SS)のメンバーとなり、ナチス支配下のフランスのリヨンでゲシュタポとして多くのレジスタンスの闘士を尋問・拷問し、ユダヤ孤児院の子どもたちまで強制収容所に移送した時期。バルビーに直接拷問された被害者は、バルビーがペンチを片手に尋問し答えないとペンチで歯を折ったと証言し、切れている腱に手を突っ込み折れている骨を押し付けて尋問したとも証言します。レジスタンスの英雄ジャン・ムーランもバルビーに尋問され、バルビーの通訳はバルビーがムーランの足を持って地下室に引きずっていくところを見たと証言しています。ジャン・ムーランはその後移送中に死亡します。子どもたちについては、遺族が、レジスタンスさえしていない子どもたちに何の罪があったというのかと追及します。
 しかし、戦後、ナチスの残党よりも共産主義との闘いを重視したアメリカは、バルビーらナチスの残党をソ連の共産主義者の情報を持っていると考えて陸軍情報部に所属させてスパイ活動に従事させます。戦後、他の戦犯が裁かれていく中、他の戦犯の裁判で証人出廷しながら自らは起訴されないバルビーに対して遺族らから不満の声が出てフランス政府が身柄引き渡しを求めると、アメリカは、バルビーらを南米に移送します。
 南米では、独裁政権の下で民衆を弾圧するすべを教え、南米共産主義の英雄チェ・ゲバラ暗殺計画にも関わったとされます。ボリビアで海運会社を作って武器輸出などで暗躍して偽名ではありますが表に出てきたバルビーを、ナチスを追い続ける人たちが発見し、フランスからボリビアに引き渡し請求があり紆余曲折の上、1983年にボリビアからフランス領ギアナに移送されて逮捕・フランスに移送されて裁判が行われることになります。4年にわたる予審の上、1987年に人道に対する罪で終身刑となり、収監されたバルビーは1991年ガンで獄死します。

 ナレーションもなく、音声は記録映像部分以外はインタビューでつなぎますので、統一感がなく、テーマミュージック(フランス映画らしく、ちょっと哀愁の漂う洒落た感じのシャンソンです)も最初だけで本編の間ほとんど音楽なしです。インタビューには英語もありますがフランス語も多く、字幕をジッと見つめていないとすぐ置いて行かれます。それでいて映像もドラマティックに作った部分がないので、内容に強い興味がないと、見続けるのがちょっと辛い。フッと居眠りして目を開けたら話が見えなくなっていたりします。
 記録映像の残り具合やインタビューの取りやすさからでしょうけど、南米に行ってから、それもフランスの引き渡し要求以後の部分が長くなっています。3つの人生というサブタイトルから見ても、3つめが長くなってバランスを崩している感じがしますし、後半をもう少しまとめた方がよかったかも。

 バルビーの娘のインタビューで、自分には優しい父だったとか、リヨンの虐殺者(Butcher of Lyon)なんて言う人がいるが精肉業者(butcher)にも失礼だとか言わせています。戦犯法廷での弁護人は、彼は命令に従っただけだとか、当時のフランス法上合法だったと弁論しています。バルビーは法廷で子どものアウシュビッツ送りは否認し、レジスタンスとは戦ったがそれは戦争だった、そして戦争はもう終わったと述べ、映画のラスト近くでは、世の中は皆自分を望んだのに裁かれるのは自分一人だと言わせています。
 そういう面はあるとは思いますが、でも拷問の被害者や遺族の証言の前にはその言葉はむなしい。
 最後にアメリカの元国会議員には、アメリカの政策は今もアフガニスタンでもイラクでも同じ、敵の敵は友だと語らせています。そのあたりが、この映画のコンセプトです。

 率直に言って、もう少し見せる工夫をして欲しい映画ですが、こういう堅いドキュメンタリーをいまどき8週間上映する(今日から7週目。9月19日まで)銀座テアトルも立派かなとも思います。

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