たぶん週1エッセイ◆
映画「交渉人 THE MOVIE」

 テレビドラマシリーズの映画化作品「交渉人 THE MOVIE タイムリミット 高度10,000mの頭脳戦」(タイトルからしても2時間半ドラマですね。中身もそんな感じですが)を見てきました。
 封切り3週目日曜日、チリ大地震での大津波警報発令中の雨の午前中(そんな日に映画見に行くなって・・・)は2割くらいの入りでした。

 銀行の現金輸送車を襲った犯人が多数の人質を取って大田区のスーパーに立てこもった事件で犯人との交渉に当たっていた警視庁捜査一課特殊捜査班交渉班主任宇佐木玲子(米倉涼子)は、主犯格の男御堂啓一郎(津川雅彦)が交渉を拒否して、強行突入部隊にスーパーの爆破で応じその混乱の中で人質と共犯者を脱出させながら、自らは奪った金もそのままに投降して逮捕されるのを目の当たりにする。後日、休暇を取って北海道に行くはずだった宇佐木は、立てこもり事件の際に逮捕された御堂と不審なやりとりしていた人質木元祐介(林遣都)を羽田空港で見かけ、木元が偽名で北九州行きのスカイバード201便に搭乗したことを知って、搭乗手続もせずにその便に乗り込んでしまう。その便には偶然交渉班係長木崎誠一郎(筧利夫)が婚約者とともに搭乗していた。スカイバード201便には、スーパーの立てこもり事件の共犯者中川伸也(反町隆史)が搭乗していて、上空で木元兄弟とともにハイジャックを敢行し、御堂の釈放を求めた。決断ができない政府、地上と連絡が取れない宇佐木は・・・というお話。

 話の展開としてはいくつかのひねりと仕掛けがあって、娯楽作品としてそれなりに楽しめます。
 また、冒頭のカーチェイスのシーン、本当に公道っぽくて、そのあたり力入れている感じがします。
 でも、やっぱりテレビドラマなんだよなぁって思ってしまいます。

 飛行機の貨物室って、あんなに広いんですねという驚きがありました。これは、公式サイトのプロダクションノートに「ジェット機のセットは、キャビン、コックピット、貨物室の3種類を、限りなく実物に近い形で制作された」って書かれてますから、きっと実物がああいう作りなんでしょう。それは勉強になりました。
 でも、この映画の展開の最も重要な前提となる客室のトイレと貨物室の間のダクト(通気口)が、人が通れるほど太いってことはないんじゃないでしょうか。
 それがクリアされたとして、宇佐木と犯人の乱闘で客室の窓が割れて機内の空気が流出し、さらには副操縦士が撃たれて重体のところに機長も撃たれて重傷で誰も操縦していないのに、客室が揺れるのはその直後だけで、あとは何事もなかったかのように客室が安定した状態なのはなぜ?
 ハイジャック犯中川がパラシュートで脱出した時点では昼間だったのに、その前から燃料があと30分しか持たないと何度も言われていながら、着陸するとき真っ暗なのはなぜ? まぁこれは真っ暗の方が着陸時の映像が作りやすかったという事情かと思いますが。
 中川が脱出したときのパラシュート。上空からの映像と地上での映像で色が違うように思えるんですが、光の当たり方のせいでしょうか?

 航空機のことは、私は素人ですから、まぁこれくらいにしておくとして、仕事柄驚くのが、宇佐木が面会に行く死刑囚(城田優)と会う接見室。まずとんでもなく広い。これまで弁護士として入った接見室であれほど広いところは見たことがありません。次に死刑囚側の部屋の窓が外に直結している。接見室の後ろ側のドア・窓は看守が中の様子を見られるように監房か廊下につながっているのが普通で、接見室の後ろ側が外壁という作りは実際にはまずない。そして死刑囚側と面会者を隔てるアクリル板の下に開口部がある。これは、本来弁護人と未決拘禁者との間では文書の授受は禁止できませんから秘密交通権の一環として本来は文書を通せる開口部が設けられるべきで、裁判所の弁護人接見室には(わたしが知っているのは東京地裁の場合ですが)開口部があります。しかし、警察の留置場や拘置所(わたしが知っているのは都内の警察と東京拘置所ということになりますが)の接見室には開口部は設けられていません。さらに言えば死刑囚側に拘置所の職員の立会がないことも奇異ですが、これは宇佐木が警察官なので特別に便宜が図られているとでも解しておきましょう。
 警視庁の職員の宇佐木が週1回面会に行っている死刑囚ということなら、当然東京拘置所にいるはずですが、もう少しそれっぽく作ってほしいなと思いました。

 ストーリーのひねり・展開部分なので、具体的には書きませんけど、御堂がなぜ最初の現金強奪・立てこもりをやったのか、結局最後まで見てもストンと落ちません。首謀者を力のある地位に押し上げることで「世界を変える」という一応の仮説は持ちましたけど、今ひとつ御堂の人物像・経験とフィットしないんですよね。
 そして背後に大きな力がって設定も、結局、個人の話にしてしまうんですね。組織や役所全体の悪ってことじゃなくて。それも政府や役所の方針と違う正義を主張する人物を汚したがる。そのあたりに日本の映画界、特にテレビ局中心の制作委員会の限界というか、政治家・官僚への上目遣いを感じてしまいます。

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