◆たぶん週1エッセイ◆
映画「空気人形」
是枝裕和監督最新作「空気人形」を見てきました。
封切り9週目日曜日、まだ4割くらい入っていました。
うだつの上がらないファミレス従業員の秀雄(板尾創路)が夜な夜な話しかけ風呂に入れ性欲の処理に用いていた空気人形「のぞみ」(ペ・ドゥナ)が、心を持ち動き出し、密かに街に出て、レンタル・ビデオ店の従業員純一(ARATA)に恋をしてその店でアルバイトを始め、純一とデートを重ねるが・・・というお話。
心を持って自ら動き出した空気人形がメイド服を着て街を歩いていても、最初、誰も話しかけない様子は、種を超えてしまった美しき姫がコミュニケーションギャップに悩むという点で人魚姫のアナロジーかとも思えました。しかし、空気人形は話すことができ、まわりの人が交わす挨拶をまねて行きます。それでも誰も空気人形に話しかけず通り過ぎてゆく姿は、街の住人たちの孤独な余裕のない心を表現しているようです。
レンタルビデオ店に入り佇む空気人形に、初めて声をかけた店員純一は、無知で会話もほとんどできず子どものように未熟な空気人形にも、ごく普通に接し、下心も感じさせず、純粋な青年を体現しています。後に仕事中に釘に引っかかって穴が開き空気が抜けて萎んでいく空気人形を見ても、冷静にセロテープで穴をふさぎ空気を吹き込むという行動も、その延長にあります。
他の登場人物は、元カノの名前をつけた空気人形に話しかけ続けながら空気人形が話し始めると人形に戻ってくれと頼む秀雄、空気人形を脅してトイレでレイプしながら今どきの若い娘はと小言をいう店長、犯してもいない罪を自白して自首し続ける老女、ベンチに一人座り込んで詩を語る老爺、妻に出て行かれて小学生の娘をもてあましている父親、生ゴミに囲まれて暮らす過食症のOLなど、心に問題を抱えた孤独な人物と描かれています。
そういった、人々の孤独と空虚さを、無垢で無邪気な人形の視点を通じて描くということが映画のテーマとなっています。
ペ・ドゥナの澄んだ透明感のある目と表情が、18禁でない映画(といってもR15指定はされていますが)としては異様なまでに多いヌードシーンを爽やかに感じさせています。その美しいヌードシーンと空気人形として性欲処理に用いられまた店長にレイプされるシーンの寒々とした痛ましさの落差が、孤独な独善的な性と業を浮かび上がらせています。
純粋な青年だった純一も、別の空気人形に乗り換えた秀雄の下を去って純一に「何をしてもいいのよ」と献身的に申し出る空気人形に、ある意味で変態的な行為に及び、破滅していきます。
せっかく持った心で、空気人形は失望と哀しみしか見ることができなかったのか、涙を誘う作品ではありませんが、切ない思いがつのりました。
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