庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

たぶん週1エッセイ◆
映画「奇跡の教室 受け継ぐ者たちへ」
ここがポイント
 生徒たちの目の表情とその変化が印象的
 ブルカの着用禁止や成績判定会議に生徒代表が参加するなど、文化の違いも考えさせられる

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 落ちこぼれクラスが担任教師の提案で強制収容所での子どもたちをテーマとするコンクールへの参加を通じ成長していく映画「奇跡の教室 受け継ぐ者たちへ」を見てきました。
 封切り2日目日曜日、全国で東京の3館だけの上映館の1つヒューマントラストシネマ有楽町シアター1(161席)午前10時30分の上映は9割くらいの入り。

 パリ郊外のレオン・ブルム高校のさまざまな人種・民族・宗派の生徒が集まる1年生の落ちこぼれクラスの担任となった教師アンヌ・ゲゲン(マリアンヌ・アスカリッド)は、問題を起こし、授業の進行も遅れ、成績も悪いと校長らから指摘され、生徒たちに、子どもたちと若者たち・ナチス強制収容所での日々というテーマで歴史コンクールに参加することを提案する。当初は無理だと拒絶反応を示した生徒たちも、好奇心に駆られて準備に参加するが、チームワークができず、研究は深まらない。そんなある日、アンヌは当時15歳で親兄弟とともに連行され強制収容所を生き延びた老人レオン・ズィゲル(本人)を教室に呼び、強制収容所での父親との別れなどを語らせた。生徒たちは諍いを抑え、前向きの提案をするようになり…というお話。

 荒れていた落ちこぼれクラスの生徒たちが、1つの目標に向けて取り組むうちに成長するという、ありがちなテーマですが、生徒たちの目の表情、描き方が印象的です。
 ナチスの強制収容所を採りあげ、占領下のフランス政府がナチスに協力し、フランス国内の強制収容所から5万1000人のユダヤ人、ロマが絶滅収容所に送られた事実を直視しようとしていますが、他方でアウシュビッツに匹敵する事実を問うたアンヌに答えてアラブ系の生徒がパレスチナ人の虐殺を、アフリカ系の生徒がアルジェリア(旧フランス植民地)での虐殺を挙げたのに対して、アンヌが戦闘での行為は「民族の絶滅」を目指すものではないとして質が違うと退ける姿には疑問が残ります。アウシュビッツと「同列」でないとしても、パレスチナ人に対するイスラエル政府の行為やアルジェリア人に対するフランス政府の行為が、「戦闘行為」などとして正当化できるものとは思えません。そこは、歴史教師として直視すべきではなかったでしょうか(また、「民族の絶滅」を目指すかがメルクマールであるとすれば、この作品では挙がりませんでしたが、ルワンダ虐殺やユーゴなどでの「エスニック・クレンジング」はどう捉えることになるのでしょう)。
 アンヌの授業で、キリスト教会の地獄を描いた絵の紹介でムハンマド(イスラム教の始祖)も地獄にいると描かれていると述べて、憤激した生徒に対して、当時のキリスト教会の敵は誰かと問い敵はみんな地獄に落ちるという教会のプロパガンダだと指摘する下りが印象的です。規則にはうるさく厳格だが、権威に媚びない姿勢が生徒たちの共感を呼んだというところでしょう。

 フランスの公立高校が舞台で、スカーフ(ブルカ、ヘジャブ)の着用禁止に加えて十字架のペンダントも見えるような着用を禁止していたところ、成績判定会議とおぼしき会議に校長と教師とPTAとさらにクラスの生徒代表2名が参加しているところが印象的でした。
(2016.8.7記)

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