たぶん週1エッセイ◆
映画「夏時間の庭」
ここがポイント
 兄弟間、世代間での人生観のすれ違い、家族のありよう、ノスタルジックな思いとドライな割り切りが描かれる
 家と子供たちが駆け回る裏庭の映像の美しさとアール・ヌーボーの工芸品の数々だけでも見る価値あり

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 母と暮らした家と大量の美術品を相続した子供たちの人生観の違いと葛藤の思いを描いたフランス映画「夏時間の庭」を見てきました。
 封切り4週目土曜日、東京では銀座テアトルシネマ1館のみの上映ということもあってか、雨の午前中という条件にもかかわらずほぼ満席でした。観客層としては中高年女性が多数を占めている感じです。

 大叔父(母にとっては叔父)で成功した画家のポール・ベルティエの死後も家と美術品コレクションを守ってきた母(エディット・スコブ)が死に、残された3人の子供たち。経済学者でフランス在住の長男フレデリック(シャルル・ベルリング)は、子供たち(母の孫たち)のために家と美術品をそのまま残そうと提案しますが、中国でビジネスを展開する次男ジェレミー(ジェレミー・レニエ)は、中国で住む家とバカンス用の別荘を買うために金が要ると言って遺産の売却を希望し、デザイナーとして世界を飛び回る長女アドリエンヌ(ジュリエット・ビノシュ)もこの家は必要ないと言い、フレデリックは母の想い出や美術品、特にコローの風景画に未練を残しながらも売却を決意し、手続を進めていくというお話。
 ストーリーに大きな展開はなく、兄弟間、世代間での人生観のすれ違い、家族のありよう、そこへのノスタルジックな思いとドライな割り切りといったものを描いています。
 世代的には長男フレデリックの側なんですが、今回は母の方の立場で見てほろりとしてしまいました。

 母親、使用人エロイーズ、長男フレデリックの家族の歴史、想い出へのこだわりとノスタルジー、これに対してドライに割り切る次男ジェレミーと長女アドリエンヌという構造ですが、さらにドライな現代っ子の長男フレデリックの娘が最後に絡んでくる重層的な構造を見せます。
 そのあたりが、フランス映画であるにもかかわらず、アップテンポな英語の歌をかぶせたエンディングにつながっています。

 それにしても、コローの風景画やルドンの習作が無造作に壁に掛かった個人宅って・・・
 家と子供たちが駆け回る裏庭の映像の美しさと日用品としておかれているアール・ヌーボーの工芸品の数々だけでも、美術ファンには見る価値がありそうです。 

(2009.6.6記)

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