たぶん週1エッセイ◆
映画「ライク・サムワン・イン・ラブ」

 イラン人監督キアロスタミが日本人俳優・日本語で制作した(疑似)恋愛映画「ライク・サムワン・イン・ラブ」を見てきました。
 封切り3週目土曜日、全国8館東京2館の上映館の1つ新宿武蔵野館スクリーン2(84席)午前10時20分の上映は4割くらいの入り。観客の大半は一人客。

 引退して執筆と講演で暮らす84歳の元大学教授のタカシ(奥野匡)は、知人のヒロシに頼んで死別した妻に似た風俗バイト中の女子大生明子(高梨臨)を自宅に呼び、ワインを開けて語ろうとするが、明子はさっさと服を脱いでベッドに入ってしまう。翌朝、明子を大学まで送ったタカシは、明子が携帯を切っていたことをなじるノリアキ(加瀬亮)と遭遇し、ノリアキがタカシを明子の祖父と思い込んだのに調子を合わせる。テストが終わってタカシの車に戻ってきた明子はノリアキが乗り込んでいることに驚くが、タカシに示唆されて調子を合わせる。ノリアキをおろし、次いで明子とも別れて自宅に戻ったタカシに明子から助けを求める電話が入り・・・というお話。

 おそらくはノリアキの視点から入る観客はいないと思うので、男性客はタカシの視点、女性客は明子の視点で見るのだろうと思います。

 タカシの視点で見る男性客、特に中年以上の男性には、もう一度恋をなんて思ってもそうは問屋が卸さないって映画なんだろうと思います。
 タカシは、たぶん、肉体的なものでなく、恋というかときめきを求めていたのだと思います。早々にベッドインしてこっちに来てと言う明子とその夜どうなったのかは明確にはされていませんが、朝のシーンでタカシの着衣がそのままで毛布らしきものをリビングからベッドルームに持っていったのはそのままリビングで夜明かししたという意味だと私はとりました。明子は拒絶はしないでそれなりに対応はしているものの、タカシが求める会話や親しい心のふれあいは今ひとつ深まらずすれ違う感じが残ります。
 タカシを慕う隣人の女性もいますが、重度の障害を持つ弟を抱えて外出もままならないまま老いてゆく悩みを抱え、タカシはその女性には惹かれません。
 明子を拘束し一方的にのめり込むノリアキに対し、タカシは祖父と勘違いされたことを利用して注意し手玉にとったように振る舞いますが、結局は何も解決できません。
 そういう周囲の人々のやるせない状況に、年を重ね円熟したはずのタカシにも結局何もできない無力感、そしてタカシが望んだ恋愛ないしは疑似恋愛もうまくいかない虚しさ、そういったものを感じさせます。

 明子の視点で見る女性客には、誰かが何とかしてくれるとか何とかなるなんてことはないって映画なのかなと思いました。
 明子は、風俗嬢のバイトをしながら、どういう経緯で知り合ったのかはわからないけど(明子が風俗のバイトをしていることを知らない)明子を拘束したがる思い込みの強いDV男またはストーカー男のノリアキとつきあい、田舎から突然会いに来た祖母に電話で度々メッセージを残され、その中で公衆電話に貼ってある風俗嬢のステッカーの写真がそっくりと指摘され会うに会えない状況にあります。
 つきまとうノリアキにはその場しのぎの対応を続けますが、当然ノリアキはつきまとい続けます。殴られて負傷しタカシに助けを求めても、タカシには解決能力もなく、何も解決しません。
 そういう閉塞感、無力感、絶望感が、最後まで続きます。

 登場人物のピンチを、まさしく映画のように奇想天外なというか観客が期待するような展開で解決する、なんてことはないんだ、登場人物に特別な能力もないし神風も吹かない、そういうことを思い知らせてくれるという映画かなと思います。
 映画としては例外的な手法である意味で観客に驚きを与えるとはいえますが、でもそれなら観客にとって映画を見る目的は何かとも考えてしまいます。

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