たぶん週1エッセイ◆
映画「ラブリーボーン」
ここがポイント
 なすすべもなく現実を見続けるスージーから見た、娘を殺害されて悲しみに暮れ苦しむ家族や友人の姿とその再生がテーマ
 スージーの心象風景の非現実世界の風景が、あまりにも美しい

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 殺された14歳の少女の目から見た家族と友人の苦しみと再生、犯人のその後を描いた映画「ラブリーボーン」を見てきました。
 封切り2週目祝日夕方は半分くらいの入り。観客層は若者中心でした。

 近隣に住む中年男性ハーヴィ(スタンリー・トゥッチ)の罠に嵌められて殺害された14歳の少女スージー・サーモン(シアーシャ・ローナン)は、あの世とこの世の間でさまよい、犯行が発覚することもなくのうのうと生き続けさらには次の殺人を計画する犯人の姿、娘を失って苦しみ犯人を捜し続ける父親ジャック(マーク・ウォールバーグ)、いつまでも犯人を追い続ける夫に愛想を尽かして出て行く母親アビゲイル(レイチェル・ワイズ)ら家族の悲しみ苦しむ姿、そして約束した初デートを果たせず悲しみに暮れる初恋の人レイ(リース・リッチー)とスージーが近くにいると感じレイを慰める友人のルース(キャロリン・ダンド)らの姿を見続けることになります。警察の捜査は成果を上げず、娘のまわりにいた大人を次々と疑うジャックは警察に相手にされなくなり、直観的にハーヴィを疑い家に逃げ込んだハーヴィを追ってドアを壊して逆に警察に叱られる始末。飼い犬の反応と父親の姿からハーヴィを疑った妹のリンジー(ローズ・マックィーバ)はハーヴィの留守宅に忍び込むが・・・というお話。

 現実界にコミュニケートできずになすすべもなく現実を見続けるスージーの視点から、娘を殺害されて悲しみに暮れ苦しむ家族や友人の姿とその再生を描くというのが、この作品の基本的なテーマとなっています。そして、とりわけ悲しみに暮れ自暴自棄になりもがき続ける父親ジャックの悲痛な姿はそのテーマに十分に応えているといえますし、その姿を見るスージーの思いとともに、涙を誘います。そのあたりは、私がスージーと同い年の娘を持つ父親だということでかなり増幅しているでしょうから、そうでない人は少し割り引いて聞いた方がいいかも知れませんが。
 しかし、映画はスージーの目から見た現実社会の話が、ときおり撮されるスージーのいる世界というかスージーの心象風景に挟まれて進展します。この非現実世界の風景が、あまりにも美しい。AVATARの惑星パンドラのように1つの世界として構築されたものではなく、そのときどきで全く異なる世界の風景なのですが、それぞれに息を呑むほど美しい。スージー自身のスッキリあっさりした顔立ちとあわせて、残された者たちの悲しみや苦しみの情念が、スージーのいる世界の映像の美しさで浄化され解消されてしまい、怨念のストーリーとして続かない感じがするのです。
 ストーリーはあくまでも犯人を許すわけではなく、またあきらめるなと言っているのに、しかし映像では犯人が逃げ延びていてもカタルシスを感じてしまう。このあたりが、どこか中途半端なもやもやした感じを残します。
 でも、こういうふうに文句をつけた上でさえ、スージーの世界のCG映像は素晴らしい。ストーリーに関係なくこれだけに関心を持てるとしたら、それだけ見ても見る価値があるかもしれません。

 しかし、同時に、殺人事件をめぐって、トラウマになりそうな映像もけっこう挟まれています。年齢制限はないようですが、ちょっと気をつけた方がいいような気がします。

(2010.2.11記)

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