たぶん週1エッセイ◆
映画「真夏のオリオン」
ここがポイント
 戦争映画でありながら、同時に自軍にも敵軍にも同じ人間性を見て、生きて帰ることの、命の大切さを中心的なテーマとしている
 しかし、攻撃で死ぬ敵軍は常に当然にいるし、それを否定的には描かないわけで、反戦映画ではない
 危機でに陥っても基本的に笑顔を絶やさない倉本の姿は、人間性というよりも、指揮官としての有能さとみるべき

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 第2次大戦中最後に1隻残った日本軍の潜水艦の艦長の戦いと決断を描いた映画「真夏のオリオン」を見てきました。
 封切り2日目日曜日午前中は、4割くらいの入りでした。

 第2次大戦末期、連合艦隊は壊滅し、米軍の本土上陸を妨害するのは補給路に対する潜水艦攻撃だけという状態。潜水艦イ−77号の艦長倉本(玉木宏)は、親友の有沢(堂珍嘉邦)が艦長を務めるイ−81号を撃沈した対潜駆逐艦パーシバルに遭遇、目の前で米軍タンカー2隻を撃沈しますが、タンカー乗組員を救助中の駆逐艦は攻撃しません。イ−77号は次の米軍タンカーを目指して航行中、沈没したイ−81号からのモールス信号を探知し操作不能・残存酸素わずかのメッセージを受け取り、倉本は有沢に操船を指示しますが、その金属音を探知したパーシバルの爆雷に襲われます。倉本とパーシバル艦長マイク・スチュワート(デイヴィッド・ウィニング)の知力を尽くしての戦いが続きますが・・・というお話。
 対潜駆逐艦と潜水艦の戦闘シーンは、明らかに「眼下の敵」を意識したものですね。

 この作品では、人間魚雷「回天」を使用しない、出動させろと度々迫る回天搭乗員に対して(命が)もったいない、「俺たちは死ぬために戦ってるんじゃない、生きるために戦っているんだ」という倉本のメッセージが強調されています。
 撃沈したタンカーの乗組員救助中の駆逐艦を攻撃しない倉本の姿勢、そして最後に航行不能となったイ−77号への砲撃をストップさせたスチュワートの姿勢に、相手も同じ人間だ、(作戦に)不要な殺生はしないというメッセージを込めています。
 それに関して、それほどインパクトがあるシーンではありませんが、エンドロールの途中にワンシーン、大切にしたいカットが挟まれています。
 命を大切にというメッセージの背景に、倉本を慕う有沢の妹有沢志津子(北川景子)の必ず生きて帰れという倉本への伝言(ただし、イタリア語なので倉本には読めない)を書き込んだ「お守り」としての自作の歌「真夏のオリオン」の楽譜が効果的に使われています。
 そういったあたり、戦争映画でありながら、同時に自軍にも敵軍にも同じ人間性を見て、生きて帰ることの、命の大切さを中心的なテーマとしています(でも攻撃で死ぬ敵軍は常に当然にいるし、それを否定的には描かないわけで、反戦映画ではありません)。

 倉本は、部下の失敗も叱責はせず、危機に陥っても基本的に笑顔を絶やさず、緊迫する部下に、音楽を聴かせたり飯にしようと言ったりして緊張を解いています。このあたりは、倉本の人間性という見方もありでしょうけど、むしろ腹が減っては戦はできぬですし、危機においてこそ冷静な対応が必要となるわけで、人心掌握術を含め、指揮官としての倉本の有能さを示していると見た方がいいでしょう。

 それにしても、イ−77号潜水艦のカレンダー、皇紀でも元号でもなく「1945年」と表示していますが、ベートーベン(実はショパンの曲)が好きという倉本の好みでしょうか?

(2009.6.14記)

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