◆たぶん週1エッセイ◆
映画「光州5・18」
光州事件と呼ばれる1980年の軍による住民虐殺と市民軍の蜂起を描いた韓国映画「光州5・18」を見てきました。
私にとっては5月封切りの映画で一番見たかった映画です。作品としては泣かせることを狙ったものではないでしょうが、たくさん泣けました。
序盤、秀才の高校生の弟ジヌ(イ・ジュンギ)と2人暮らしの木訥なタクシー運転手ミヌ(キム・サンギョン)が、お調子者の同僚インボン(パク・チョルミン)の助言を得ながら、憧れの看護師シネ(イ・ヨウォン)を苦心惨憺してデートに誘い出す、平和な日々が描かれます。
ミヌがシネとジヌとともに映画を見ていたところに、全斗煥退陣を求めてデモをしていた学生を追ってきた兵士が民衆の前で学生を叩きのめし、学生や、さらには映画を見ていた市民までが兵士に追われ打ち据えられ、シネまでも誤解されて兵士に追われ、ミヌはその兵士を後から叩きのめします。
ジヌはその日の騒動で同級生が兵士に殴り殺されたことを知って、学生を率いてデモに出ようとします。最初は反対していた先生も、ついにはジヌに催涙ガスを緩和する薬を出します。この時の先生の表情がいい。
市民にデモが広がったことを知り知事は正午には軍隊を撤収させると告知し、勝利に喜ぶデモ隊は軍隊と対峙しからかいながら撤収を待ちます。正午になり国歌が演奏され胸に手を当てて国歌を合唱するデモ隊に、軍が発砲し、虐殺が始まります。丸腰の市民を徹底的に殺戮する軍、演出もあるかも知れませんがついさっきまで国歌を合唱していた市民を「暴徒」として殺戮する軍の姿の異常ぶりは際だっています。
この中で多くの市民に混じって、路上で負傷者を救おうとしたジヌが、物陰に避難していたミヌの目の前で腹を撃たれて倒れます。ミヌはジヌを背負って病院に運び込みますが、蘇生措置の甲斐もなくジヌは死んでしまいました。これを見て、それまでデモに反対していたミヌも立ち上がります。
武器庫を襲って銃と弾薬を手にした市民が、軍と銃撃戦を繰り広げます。その過程で、救急車で駆けつけて負傷者を運ぼうとした医師まで軍に銃撃されて死んでしまいます。この医師の姿のりりしさとそれを銃撃する軍隊の異常さがまた印象的です。
この銃撃戦で、なんと市民側が勝利を収め、軍は一旦光州から撤退します。このあたり、日本人の感覚では現実的でないようにも見えますが、考えてみたら韓国では徴兵制がありますから、一般市民も多くは元兵士で銃を扱えるんですね。道庁や武器庫に大量の銃器弾薬が普通に貯蔵されてたり、市民がすぐ銃を撃てたりすることにリアリティがあるわけです。
ここまでのシーンでは、前半ののどかさ、恋の進展でも軍に対する立ち上がりでもミヌのじれったさが目立ちます。特にミヌを殺そうとして組み敷いている兵士をシネが銃殺して(それにしても兵役経験がないはずの看護師が一撃で兵士をしとめたのは・・・)自責の念に駆られて苦しんでいるのに何も言わないのは、ラブストーリーの面としてもちょっと疑問があります。君がそうしなければ僕は死んでいたとか、せめて礼くらい言えよって思います。
他方、元軍の隊長で引退してタクシー会社社長になっている実はシネの父親のフンス(アン・ソンギ)はすごく渋くてかっこいい。主役はミヌのはずなんだけど、どう見ても一番かっこいい。
エンタメとして作るのであれば(それでもここまででも十分流血シーンが多すぎる感じですが)、ここまででエンドにする方がよかったかと思います。
しかし、制作意図がエンタメでないことは明らかですし、事実としても映画としてもここからが本格的な戦いの始まりになります。
この後フンスが市民軍を組織して道庁に立てこもり、軍の来襲に備え、最後の銃撃戦まで突き進んでいきます。
後半も、市民軍の中で、それぞれの生き方や思いが語られ、戦いに参加する人々の思いと立場が描かれているのですが、立てこもってから最後までは、どうしても作戦・戦略としての流れに目が行ってしまいます。
私が疑問に思ったのは、フンスがどういう考えで市民軍を組織して立てこもることにしたのかです。軍との話し合いや駆け引きで軍の最終的な撤退を勝ち取れる成算があったのでしょうか。はじめから勝利の見込みのない戦いであれば、敢えて参加者・死者を増やさないという選択もあったはずです。籠城後のポイントとしては、元部下の中佐(軍の現役将校)と話すシーン、外国のメディアが報道し「あと5日間頑張れば勝てる」という情報が来たとき、ミヌが軍にダイナマイトを送りつけて包囲する軍を脅して一旦撤収させたときがあります。これらが最初は可能と見ていた軍との話し合いないし駆け引きを不能にしていったということでしょうか。そのあたり今ひとつフンスの思いがはっきりとは語られていません。籠城戦としても、豊富にあったダイナマイトを活かす戦術が見られません。個人としての悲壮な覚悟と勇気、そしてシネの父としてミヌの雇い主としての情などはよく描かれているのですが、大局観、戦略、戦術は乏しいという印象を持ってしまいました。
すべてが終わり、軍の所業なかりせばの平和な喜びのラストシーンで、みんなが笑顔の中、花嫁姿のシネだけが哀しげな様子が際だちます。映画館では不思議な違和感を持って帰りましたが、公式サイト(今はもうありません)でその写真を見ると(イメージソングのページのバックにラストシーンの写真がありました)、写っている中でただ一人生き残ったシネは喜びを感じられないという意味かと思い当たりました。違っているかも知れませんが。
制作側の意図としては韓国内で光州事件についての汚名を晴らすことに重点が置かれる関係で、蜂起した市民が「暴徒」かという問いかけが何度かなされますが、そこは敢えて聞かなくてもよさそうに思えます。
こういう極限的な状況に追い込まれたとき、自分ならどうするという問いかけがたぶん突きつけられているのでしょうけど、ちょっと極限的すぎて私はあまり実感しませんでした。ただお話の中では、ミヌは愛する弟を殺されたことへの復讐あるいは正義のための戦いの大義を今生きている愛する人を守ることより優先することを選択したとも言えるわけで、そのあたり考えさせられるところです。
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