庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

たぶん週1エッセイ◆
映画「もらとりあむタマ子」
 大学卒業後実家でぶらぶらしている無職女性の不機嫌な日常と微かな決意を描いた映画「もらとりあむタマ子」を見てきました。
 封切り2週目土曜日、全国5館、東京では唯一の上映館武蔵野館1(133席)午前10時の上映は、入場者プレゼント(監督特製カード)付きで5割くらいの入り。観客の多くは男性一人客。

 離婚した父善次(康すおん)が1人で小さなスポーツ用品店を経営し炊事洗濯掃除もこなす横で、日がな一日ぶらぶらと過ごす大学卒23歳の坂井タマ子(前田敦子)。秋が過ぎ冬も過ぎて春になり、やおら父に面接用の服をねだり髪を切り写真館に赴き、秋にバッシューを買いに来た写真館の息子の中学生仁(伊東清矢)に写真を撮らせ口止めするが、仁の父が知ることになり父善次の前で写真を渡されてまたぶーたれてしまう。夏になり、法事の話に行く善次について訪れた伯父の家で伯父の妻よし子(中村久美)が善次にアクセサリー教室の先生曜子(富田靖子)を紹介したことを聞き、またしても仁を使って曜子の様子を探らせるが…というお話。

 テーマとしては、こんなにも若者が就職や生きること自体に苦しむ世の中が来ているのだなぁ、こんなことでいいんだろうか、こんな社会に誰がしたというようなことを感じ取らせようとしてるのかなという印象でした。
 もっとも、父親が仕事に家事に追われるのを手伝いもせずにただぶらぶらし続け不機嫌にしているタマ子に、テレビニュースを見て「ダメだぁ、日本」と繰り返し言わせ、最後にはとどめを刺すように、それを聞いた善次に「ダメなのはおまえだ」と言わせていて、見ている側も社会よりもタマ子に問題があると思わせていますし、就職活動も、エントリーシートは書いたものの「今の私は、本当の私ではありません」「私に名前をつけてください」では採用されるわけもなく、やはりタマ子の姿勢の問題と思わせてくれます。少なくとも、制作サイドは、正面切って、今の社会の問題を浮かび上がらせるという意図ではなさそうです。

 娘を持つ父親としては、実家でぶらぶらと手伝いもせずにいる娘に、ご飯を作り、食べたら食器もそのままの娘に文句ひとつ言わず食器を洗い、洗濯をし、掃除をし、店員も雇えずに1人で切り盛りする店も手伝えとも言わないで仕事をして至れり尽くせりでめんどうを見た挙げ句、離婚した母親が勤務先の職員旅行でバリ島に行くというので「私も海外旅行してみたい」と言ったのに「一緒に行ってくればいい」と言いそれにタマ子が「知らない大人ばかりの中にいけない」というのを聞いて「じゃぁ、お父さんと行くか」と言うや「絶対、無理」と言われてしまう善次が哀れ。そこまで言われても突き放せないのが父娘関係ということでしょうか。考えさせられます。

 ストーリーは大きな展開があるわけでもなく、起承転結やクライマックスを作ってのエンディングという構成でもなく、どこか曖昧なままにあっさりふっつり終わります。
 その結果、特別に前田敦子のファンである(観客の大半が男性一人客でしたから、そういう客が多いかも)というのでなければ、タマ子の様子の変化か、仁の飄々とした演技が見どころ(それくらいしか見るところがないとも)なんでしょう。
 前半ものすごく不機嫌な様子でものを食べ続けるタマ子が、後半は食べる前に「いただきます」というようになったとか、食べてるときの顔がふつうくらいになったとか。前半は下着も善次に洗わせていたタマ子が後半では洗濯をするようになり、でも善次がタマ子の下着を干すときは少しためらいながら干しタマ子が父の下着を干すときは片手でつまんで1か所だけで吊すというように相手への思いに温度差を感じさせるとか。前半では店の手伝いをしなかったタマ子が後半では善次がやっていた朝の看板出しをするが、タマ子が出すと看板は斜めに置かれ玄関マットも斜めだとか。
 あとどうでもいいけど、前田敦子って左利きだったのねとか、善次が湯飲みを持つとき人差し指と小指が浮いててこの人カラオケでもそうやってマイク持ちそうとか…

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