◆たぶん週1エッセイ◆
映画「ナルニア国物語:カスピアン王子の角笛」
映像は美しいが、人物より戦闘シーンが主役の印象
原作にふんだんにある食事と踊りのシーンが削られて余裕がない感じ
ディズニー映画版「ナルニア国物語第2章 カスピアン王子の角笛」を見てきました。またしても日曜夜で、1064席もある新宿ミラノ1ということはありますが、封切り1週目の日曜日(21日水曜日の封切りでしたから)でガラガラなのは情けなかったです。
「第1章 ライオンと魔女」同様、ナルニアの城ケア・パラベル周辺の森と、特に海の美しさ、ライオン姿の守護神アスランのCGの見事さには感心します。しかし、前作同様、映像は美しく迫力もあり、原作のエピソードをきちんと盛り込んでいるのだけど(今回は変更も多いけど)、そこまでだなと感じてしまうのはなぜでしょうか。
原作との違いは、場面や設定に関して言えば、悪役のミラースがまだ王に即位していなかったとか、カスピアン王子が角笛を吹くタイミングが早すぎるとか、原作にないミラースの城への奇襲が入っているとか、復活まではしていないとはいえ原作では出て来ない白い魔女が出てくるとか、水の精(川の神バッカスか?)が敵を押し流すとか、ストーリーの基本的なところでの変更も見られますが、これらはまぁよりドラマティックにするための変更と理解できます。
ミラース軍が歩いても渡れる深さの川(現にピーター王やカスピアン王子が歩いて渡っています)にどうして何日もかけて橋を架ける必要があったのかとか、ルーシーの何でも治す傷薬はいくら使っても減らないのか(終盤でネズミの騎士リーピチープにかけようとして取りだした時ビンいっぱいでしたね)とか、突っ込みたくなるところも多々ありますが、それもご愛敬でしょう。
主役の力関係を見ると、ピーター王、カスピアン王子、アスラン(&それを絶対的に信じるルーシー)の関係が基本線をなすのですが、ピーター王は原作にないミラースの城攻めとその失敗を入れたために2度にわたり自ら指揮した攻撃の退却を叫ぶことになって、ミラースとの一騎打ちで個人としての武力は示すものの指導者としての力量は低い印象が残ります。カスピアン王子は原作でもそうですが、俳優の雰囲気もあり線の細さを感じさせます。アスランも原作ほどには絶対性が強調されていません。
全体として原作より戦闘シーンが増やされ、戦闘シーンの迫力を増す方向に様々な変更がなされていると思います。その結果として、主要人物の強さ・印象が薄められて、戦闘シーンが強調され、人物より戦闘シーンが主役という感じになってしまったということでしょうか。
原作より戦闘シーンが増やされた一方、減らされたというかまったく登場しなくなったのが、食事のシーンと踊りのシーンです。原作は、ヒットした旅と冒険のファンタジーで定番ともいえますが、冒険の過程での食べ物の調達と食べるシーンにこだわっています。また、ナルニアではことあるごとに物言う動物たちやナルニア人が楽しく踊りだします。そういう原作にふんだんに織り込まれているホッとするというか楽しいシーンが映画では全然登場しません。
そのあたりの余裕・遊びがなく、敵と戦う冒険物語に純化してしまったところが、今ひとつ感動を呼ばない原因でしょうか。リーピチープのコミカルさは原作を活かしていますし、原作にないカスピアン王子とスーザン女王の恋物語まで入れて遊びを作ろうとしているのはわかるんですが・・・
(2008.5.26記)
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