庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

たぶん週1エッセイ◆
映画「夏への扉」
ここがポイント
 タイムトラベルものとしては以外に練られて破綻が少ないように思える
 設定がなぜ1995年?瞬間移動も人口冬眠も実現できてるというのが我慢できるか
    
 タイムトラベルSFの古典を日本を舞台に1995年起点に映画化した映画「夏への扉」を見てきました。
 公開3日目日曜日、新宿ピカデリーシアター5(157席)午前10時40分の上映は、2割くらいの入り。

 両親を失い科学者の養子として育てられ、義叔父松下和人(眞島秀和)が経営する会社のエンジニアとして人工頭脳(AI)を搭載したロボットと自己再生発電機関である「プラズマ蓄電池」を開発中の高倉宗一郎(山ア賢人)は、義妹の松下璃子(清原果耶)に慕われつつ、社長秘書の白石鈴(夏菜)のプロポーズを受け入れ、所持していた会社の株を譲渡したところ、和人と示し合わせた白石の裏切りにより開発中のロボットの販売が決定され、研究成果を奪われ持ち去られた。失意に暮れる宗一郎は、諦めるなと叱咤し、ずっと好きだった一緒にいたいという璃子を突き放し、冷凍睡眠サービスを行う保険会社を訪れて30年間の冷凍睡眠を申し込む。診査医から血中アルコール濃度が高いことを指摘されて翌日再審査を申し渡された宗一郎は、和人宅に乗り込み研究成果の取り戻しを求めるが、白石に麻酔薬を打たれ、そのまま和人の会社の系列の保険会社で冷凍睡眠させられてしまう。30年後に目覚めた宗一郎は…というお話。

 「夏への扉」と聞いて、「フレッシュ!フレッシュ!フレッシュ!」と松田聖子の声が脳内に鳴り響く人(私の世代はそういう人が多いと思う)は、「へ」があることに思いを致し、まず誤解を解きましょう。「夏の扉」ではなく、「夏への扉」はタイムトラベルSFの古典です。

 粒子を粗くした「過去」の映像/テレビ画像の中で、1995年時点で、瞬間移動(テレポーテーション)が実現しており、冷凍睡眠(人工冬眠)が民間企業(保険会社)のサービスとして運用されているというのが違和感がありますが、そこを乗り越えられれば、前半での科学者の、パラレルワールドは存在しない、時間がループするという説明と、最初は何のためかと訝しく思う宗一郎の冷凍睡眠に2つの保険会社が絡む設定が、後から考えると意外にもよく練られていて、タイムトラベルものとしては破綻の少ないできになっていると、私は思いました(宗一郎が目覚めたときの医師の説明には綻びがあると思います。そこは、余計な説明はやめときゃよかったのに、あるいはストーリーを考えればそういう設定はしない方がよかったのにと、残念に思うのですが)。

 設定を1995年にしたのは、原作(1956年発表、1970年のロサンジェルスが舞台)の30年冬眠を前提に冬眠明けを近未来にすることからの逆算でしょうか。宗一郎は手計算で開発を進めていくし、コンピュータを使うとしても専門家には Windows95 が販売されてもそれで何か飛躍的に環境が変わったわけでもないでしょうし、映像的には阪神大震災の高速道路崩壊は使われていましたけど、他には特に印象的・効果的なものはありませんでしたし。1995年2月から始まり、1995年3月1日、3月8日と日付が刻まれていく間は、まさか地下鉄サリン事件に絡めて新興宗教団体が新たな兵器(地震兵器とか)を開発とかストーリーに入れてくるのかと思いながら見てしまいましたが。

 ビジュアルで、肥満が悪、みたいな表現ぶりは、わかりやすいのかも知れませんが、安直に過ぎ、古くさいセンスだなと思えました。 
(2021.6.27記)

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