◆たぶん週1エッセイ◆
映画「おくりびと」
大悟が転落せずに納棺師として再出発できたのは日本の田舎から出てきた青年がまだ恵まれていた時代の美しき物語と見るべきかも知れない
納棺師の仕事は世間では、そこまで蔑まれているのか。この映画がそれを改める機会となればと思う
アカデミー賞外国語映画賞受賞作品「おくりびと」を、今さらながら見てきました。
本木雅弘の納棺師としての仕事やそれ以外も含めた熱演ぶり、山崎努の先輩納棺師・社長の味わいは、敢えて指摘するまでもないでしょう。
広末涼子は、演技としては声・しゃべりが設定より幼すぎるのが難ありですが、表情が生きていました。
役者さんの演技のできに加えて、田舎町の四季の美しさや町並みの味わいも情感に訴えます。冒頭から庄内平野の冬の名物(近年は少ないと聞きますが)地吹雪が登場し、花、夕陽、田園などが効果的にちりばめられています。
映画としてのできのよさは、今さら指摘してもしかたないので、別のことを考えます。
やっと入ったオーケストラが解散してチェロ奏者としての道を断たれ、多額の借金を背負った小林大悟(本木雅弘)が、ワーキングプアやホームレスに転落することなく納棺師として再出発できたのは、母が残してくれた山形の田舎の店があったからです。その母も、女手一つで店を経営して大悟を育て上げて店を残して死ねました。女手一つでも子供を育て上げて家を残せる余裕、なんとか生活できる田舎と親の遺産。そういったものがまだある世代だから、またたまたまあった人だから再出発が可能でした。今すでにそういう田舎や親の遺産のない人が多くなっていますし、今後それはますます減っていくでしょう。その意味で、何年か後には、日本の田舎から出てきた青年がまだ恵まれていた時代の美しき物語と見られることになるでしょう。今でもそう見ている人も少なくないかと思いますが。
納棺師の仕事が、友人からも「あんな仕事」と蔑まれ、夫の仕事を知った広末涼子はそれだけはやめて、普通の仕事をしてと言い、やめるまで実家に帰るとか、子供の前で仕事を説明できるかと言い募り、「汚らわしい」とまで言います。私には理解しかねますが、納棺師の仕事というのは世間では、そこまで蔑まれているのでしょうか。人の死体を扱う仕事ですが、その点では警察官や、鑑識の職員、そして解剖医も同じです。警察・鑑識の職員や解剖医が業務として蔑まれているとは思えませんが、納棺師は蔑まれているのでしょうか。人の死で商売をしているということなら、納棺師よりも葬儀屋や墓石業者の方が儲けているでしょうし、広い意味では保険会社など人の死で商売をしている業界はたくさんあります。もっと拡げて言えば、私たち弁護士も人の不幸で商売をしているとも言えます。むしろ、ヨーロッパでは伝統的に、人の不幸で商売をしている医者、弁護士、牧師にこそ高い倫理性を求めるとともにプロフェッションと呼び習わして敬意を表してきたはずです。もし世間で納棺師の仕事に強い偏見が持たれているのなら、この映画がそれを改める機会となればと思います。
(2009.4.2記)
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