庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

たぶん週1エッセイ◆
映画「パラサイト 半地下の家族」
ここがポイント
 パルムドール&アカデミー賞作品賞だが、むしろ娯楽作品としてみるべき
 スメハラを言う人の他者に鈍感な奢りが、実はこの作品のいちばんの格差社会指摘かも知れない
  
 カンヌのパルムドールに続きアカデミー賞作品賞も受賞した超話題作「パラサイト 半地下の家族」を見てきました。
 公開9週目、コロナ自粛開始の週末の日曜日、新宿ピカデリーシアター1(580席)午前9時の上映は2割くらいの入り。

 友人の大学生ミニョク(パク・ソジュン)が留学するためその紹介でIT企業社長令嬢パク・ダヘ(チョン・ジソ)の家庭教師になった浪人生キム・ギウ(チェ・ウシク)は、ダヘとその母親ヨンギョ(チョ・ヨジョン)の信頼を勝ち取り、半地下住宅で同居してる姉ギジョン(パク・ソダム)をタヘの弟ダソン(チョン・ヒョンジュン)の家庭教師に送り込むことに成功した。ギジョンは、パク家の運転手を陥れて解雇させて、代わりに父ギテク(ソン・ガンホ)を運転手に採用させ、さらには長年働いてきた家政婦ムングァン(イ・ジョンウン)をも失脚させて、母チュンスク(チャン・ヘジン)を採用させる。全員失業状態から全員がパク家のお抱えとなったキム一家は、パク家がそろって泊まりがけでキャンプに出かけた夜にパク家の豪邸で宴会を繰り広げるが、その最中に追い出した家政婦のムングァンが忘れ物があると訪ねてきて…というお話。

 カンヌでパルムドールを競った「レ・ミゼラブル」とともに、格差社会を描いたと言われていますが、「パラサイト」は、貧困問題について問題提起したというよりは、格差社会をモチーフにした娯楽作品という色彩が強いように思えます。問題提起色が薄まっても、娯楽作品故に多数の人に見てもらえて強い影響力を持つことができることの方が、作品としての問題提起が明確でもシリアスである故に少数の人にしか見られない(もともと問題意識の強い人しか見ない)よりもよいという判断はあるかも知れませんが。

 貧困層のキム家族の特徴は、したたかさ、諦めない心の強さ、それに対するパク家族の特徴は、他者への無関心というところでしょうか。本来は社長のパク・ドンイク(イ・ソンギュン)は当然に意欲的でしたたかなはず(そうでないと社長になれないでしょう)ですが、パク家の人々は比較的淡泊で他人を疑わない、善人でやや抜けている性格を持たされています。富裕者を悪くは描かないところも、問題提起色を薄め、中流・富裕層の反発を買わない工夫となっているのかも知れません。

 ある意味で、ミステリー・コメディ的な娯楽作品として展開する中で、少し目を引くのが、キム父ギテクの社長ドンイクに対する恨みです。映画の展開上は、やや唐突感があったところですが、見終わってみると、大事なポイントになっているように思えます。
 ギテクの憎しみは、遡って考えてみて、運転中に臭いを指摘されたことに発するとしか考えられません。人の体臭は、生活様式や食生活、加齢等によるもので、基本的には容易になくしたり変えたりできるものではなく、場合によってはその人のアイデンティティに関わるものかも知れません。インド人(だけじゃないでしょうけど)からはクミンシードやカルダモンの匂いがすることが多いですが、それは食文化に関わります。ホームレスの人の汗や饐えた匂いも、本人は好きでそうしているわけでもなく、指摘されれば言われた側は嫌な気持ちになるでしょう。近年、スメハラなどということを言う人たちがいますが、それはスメハラを言う人が被害者なのではなく、人の顔色をうかがわない人を「KY」(空気が読めない:もう死語でしょうね)などと呼んで低く見て仲間はずれにしたのと同様の同調圧力・同調強制で、スメハラなどと言いたがる人こそが弱者の事情を配慮できない鈍感な加害者なのだと思います。臭い(体臭)をめぐる上流者の心ない指摘が、貧困者の強い恨みを買うという構図が、この作品で、実はいちばん格差社会のゆがみの描写になっているのかも知れません。
(2020.3.15記)

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