◆たぶん週1エッセイ◆
映画「ポンペイ」
ローマの暴虐な支配者に虐げられた剣闘士側からの視線に共感
人の醜さも美しさも愛もすべて押しつぶし呑み込む自然の猛威に人間の無力さを感じる
地震国・火山国で原発など造ってしがみつく連中の小賢しさが虚しく感じられる
火山の噴火で滅びた街ポンペイを舞台に奴隷のケルト人と街の有力者の娘の恋と被災を描いた映画「ポンペイ」を見てきました。
封切り2週目土曜日、新宿ピカデリースクリーン10(115席)午前9時の上映は3割くらいの入り。
幼き日に北ブリタニアでローマ軍に家族を皆殺しにされたケルト騎馬族の生き残りマイロ(キット・ハリントン)は、17年後、無敵のグラディエイター(剣闘士)に成長し、ポンペイに連れてこられた。道中、ローマからポンペイへと帰る途中のポンペイの有力者の娘カッシア(エミリー・ブラウニング)の馬車の馬が倒れたところに行きあったマイロは馬の様子を見て安楽死させる。カッシアの父親から招かれてローマからやってきた元老院議員コルヴス(キーファー・サザーランド)はカッシアに結婚を求め父親に取引の条件として娘を求めたが、カッシアから拒否された。祭りの夜に見世物として連行されたマイロを見つけたカッシアは、暴れる馬をなだめるためにマイロの手枷を解かせて厩舎に入れ、自分も厩舎に入り、ともに愛馬に乗って街を抜け出すが、ローマ軍に捕らえられる。カッシアがマイロの命乞いをし、コルヴスはむち打ち15回を命じるが、密かに部下にマイロを翌日の最初の戦いで殺害するよう命じた。あと1回戦いに勝てば自由の身になるチャンピオンのアティカス(アドウェール・アキノエ=アグバエ)は、マイロと一騎打ちを予告され、マイロと憎まれ口をたたき合っていたが、翌朝になると、コロセウムの貴賓席でコルヴス、カッシア、カッシアの両親らが見守る中、剣闘士は足枷を付けられて一列に並ばされ、ケルト討伐の再現と称して数十人のローマ兵が襲い…というお話。
圧政を敷き傲慢に振る舞うローマ帝国幹部と、有力者であっても逆らえないポンペイ市民、囚われの奴隷で命を削り続ける剣闘士という支配・被支配の構造を、奴隷・剣闘士側から描き、支配者の腐敗と醜さ、虐げられる者の苦しみと怨みを描いています。
その構造の中で、天変地異に遭遇したとき、自分の利害のみを優先し窮状につけ込むか、恩義に報いあるいは窮状を見て他人を救うか、人のありようをも描いています。
虐げられた側からの視線に、庶民の弁護士としては共感してしまいます。
人の支配と被支配、危機の中での人間のありよう・生き様といったヒューマンな側面を捉えたスペクタクルですが、圧倒的な自然の猛威の前には、人の醜さも美しさもひっくるめて人間の無力を感じてしまいます。
地震と地割れ・地崩れ、津波、火山の噴火による噴煙と火山弾そして火砕流。圧倒されるとともに、いかにもCGだよねとも思ってしまうのですが、こういう地獄絵を見ると、地震国・火山国で原発など造ってしがみつく連中の小賢しさが虚しく愚かしくも恐ろしく思えました。
ローマのグラディエイターというと、ついテルマエ・ロマエUと比較してしまいますが、ローマ側の暴虐を描くポンペイを見てしまうと、ローマ皇帝とその側近の立場から描くテルマエ・ロマエには権力賛美の匂いを感じます。まぁフジテレビですもんね。
(2014.6.15記)
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