たぶん週1エッセイ◆
映画「プール」
ここがポイント
 何も解決されないし、何ごとも結局起こらない。人生ってそんなものだと言われているような気がする
 ゆったりとした人生、時間の持ち方が快い・ぜいたくなのだと感じられるかどうかが評価の分かれ目か

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 タイのチェンマイの小さなプールのあるゲストハウスで働く母を訪ねてきた娘とゲストハウスの人々の心のふれあいを描いた映画「プール」を見てきました。
 封切り9週目土曜日、まだやってたのって時期、2割くらいの入り、真ん中あたりしか人がいない状態でした。

 自分のやりたいことをやると言って2年前に一人娘を母親に預けて単身家を出た京子(小林聡美)が働くのは、タイのチェンマイにある小さなプールのあるゲストハウス。オーナーは別にいるらしいけど、実質的には主のような菊子(もたいまさこ)は余命半年と言われながら3年過ぎて犬猫を拾ってきては世話し、不器用な青年市尾(加瀬亮)は菊子が連れてきた孤児のビーと暮らしている。そんな中に京子に置き去りにされた娘さよ(伽奈)が訪れ、最初はうち解けなかったさよもゲストハウスの人々と触れあううちに・・・というお話。
 母親と生き別れている孤児ビーと、母親に自分のやりたいことをすると置いて行かれた娘さよ、母親とともに暮らす息苦しさを感じて家を出た市尾、そしてやりたいことを優先して娘を置いて出た京子と孤児を引き取って育てる市尾と母の象徴のような存在の菊子。微妙に立場が違う登場人物が、そのことを特に誇示することなくかわす日常会話で映画が成り立っています。
 自分の娘を捨てて、他人の子と暮らしている、それがやりたいことだったのか、それは無責任じゃないか。この映画で唯一と言っていい深刻な台詞・場面であるさよの京子への追及も、正面から答えられることなく、行き場を失い消え去ります。
 ストーリーの進展はほとんどなく、さらに言えば台詞も少なく、カットは長めで台詞のない間が多く、問題に対する答は明示されず説明もない。何も解決されないし、何ごとも結局起こらない。人生ってそんなものだし、そうやって自分に折り合いつけて生きていくものだろって、そう言われているような気がします。
 むしろ映画の主題・主人公はゆったりとたゆたう時間、プールの水のきらめきと木々の緑、感じられる風といったところでしょうか。そういったゆったりとした人生、時間の持ち方が快い・ぜいたくなのだと感じられるかどうかが評価の分かれ目でしょう。

 それにしてもこのゲストハウス、さよの他には客が誰も出てきませんでした。きれいな水が維持されているプールも、誰一人泳ぐ姿はありませんでしたし。どうやって経営が成り立ってるんでしょうね。

(2009.11.7記)

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