◆たぶん週1エッセイ◆
映画「ミセス・クルナス vs ジョージ・W・ブッシュ」
行われている裁判の手続きや結果がはっきりせず裁判ものとしてはわかりにくい
人権派弁護士の描写は期待を反映しているのだろうが非現実的。少なくとも私は無理
パキスタンで捕らえられて米軍のグアンタナモ基地に収容された息子を取り戻そうとする母の奮闘を描いた映画「ミセス・クルナスvsジョージ・W・ブッシュ」を見てきました。
公開初日祝日、新宿武蔵野館スクリーン1(128席)午前10時5分の上映は6〜7割の入り。
2001年10月、ドイツのブレーメンで暮らすトルコ人移民のクルナス一家で、息子のムラートと連絡が途絶え、殺到したマスコミからムラートが刑務所に入れられたと知らされ、さらにキューバのグアンタナモ基地に収容されたと聞かされた母ラビエ(メルテム・カプタン)は、電話帳で探した人権派弁護士ベルンハルト・ドッケ(アレクサンダー・シェアー)の事務所に駆け込み、息子の救出を依頼するが…というお話。
タイトルや予告編から、裁判映画と予想したのですが、何の手続きをしているのか今ひとつ理解できず、裁判の審理の場面も少なく、裁判ものとしてはとてもわかりにくい作品でした。
最初にベルンハルトが最高裁に訴えるといっていた手続きでは、アメリカ人弁護士が最高裁で弁論をする場面がありますが、示された事件名(事件当事者)は別人で、ベルンハルトとラビエは傍聴席にいます。集団訴訟の一人という位置づけなのかも知れませんが、そこは明示されなかったように思います。これは判決が出て、裁判なしの拘束は違法とされますが、米軍側は「軍法会議」による形だけの裁判をして抵抗したことが示唆されます。
それでその後ラビエが原告となってブッシュ大統領を訴えるという話になるのですが、こちらの一番肝心要の裁判の審理や結果が出てきません。少なくとも私には理解できませんでした。
その後、ドイツでムラートが更新手続きをしなかったとして在留資格を剥奪されたため、ベルンハルトがドイツで裁判を起こし弁論するシーンが描かれています。この作品の中で、裁判の内容も結果もスッキリ理解できるのはこの裁判くらいです。
米軍・アメリカ政府の横暴と不条理を描くのに、救いのなさを印象づけようとそうしているのかもしれませんが、行われている裁判手続きがわかりにくいのは裁判ものとして見るには残念です。
人権派のベルンハルト弁護士。予約もなくいきなり押しかけてきたラビエから依頼を受け、親族が9.11の犠牲者というスタッフの感情を害し、事務所の家賃を払うのに窮しているというのに、ラビエから「お金も受け取らない」という台詞があることからして無償かそうでなくても低額で受けているようです。
マスメディアが人権派弁護士を描くときのある種のステレオタイプですが、弁護士にとっては基本、迷惑な描写です。少なくとも、わたしにはとてもできません。予約なしでいきなり押しかけてくる人は確実にお引き取りいただきますし、スタッフが気持ちよく働けないと困ります(ときどき、弁護士にはへつらいながらスタッフには横柄な態度を取る人っていますが、そういう人の依頼も確実にお断りしています)。人権派だからとか、「庶民の弁護士」だから、自分の事件は受けるべきだとか特別低額で受けるべきだという人も、確実にお断りしています(本当にお金がない人は法テラス利用で受任しますが、法テラスの援助要件に当たらない実際にはお金があるのにただ弁護士費用がもったいないという人は弁護士に依頼すべきではないと思っています)。
ベルンハルト弁護士の描写で一番どうかと思うのは、ラビエの依頼に集中した挙げ句、別の事件の控訴理由書が翌日締め切りなのにできておらず同僚の別の弁護士がそれを引き取るシーン。プロがこれをやるのは論外で、そういうことになりかねないなら、事件受任を断るべきだと思います。
人権派弁護士への過剰な期待には、胸が痛むとともに頭が痛いところですが、私は、そんな虫のいいことを期待されてもとても期待に応えられないというスタンスで対応することにしています。
(2024.5.3記)
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