◆たぶん週1エッセイ◆
映画「ラフマニノフ ある愛の調べ」
天才作曲家にして「音の魔術師」と呼ばれた(んだそうな。私は音楽系、特にクラシックは弱い)セルゲイ・ラフマニノフの半生を描いた映画「ラフマニノフ ある愛の調べ」を見てきました。
2008年4月19日封切りで、封切館が6月20日までで終了というのでギリギリ行ってきましたが、東京でも映画館を替えてまだやるようですし地方はこれから封切りも多いみたい。地味にロングランしてるんですね。
基本線は、天才ピアニストだが本人は演奏よりも作曲をしたいラフマニノフの気むずかしさ、特にスランプに陥って苛立つラフマニノフをなだめ支え続ける妻という構図です。
幼い天才児に無償で個人レッスンを続けた師匠から、作曲は辞めて演奏に専念するように言われながら、隠れて作曲を続けるラフマニノフ(エフゲニー・ツィガノフ)。師匠がわざわざ呼び寄せたチャイコフスキーとの約束も無視して、「美しき年上の女」アンナ(ヴィクトリア・イサコヴァ)との情事にふけるラフマニノフ。裏切りがばれて師匠に追い出され、アンナのために作曲した曲の発表会が大失敗し、アンナにも相手にされず、失意の日々を送るラフマニノフ。それを見て婚約者を捨ててラフマニノフを支える従妹のナターシャ(ヴィクトリア・トルストガノヴァ)。
ロシア革命後アメリカに亡命し、天才音楽家として興行的には大成功を収めながら、演奏ではなく作曲をしたいと不平を言い続け、しかも新曲が書けずスランプに陥るラフマニノフ。それを支える妻となったナターシャ。
しかし、ラフマニノフは、苛立っていても、子どもを静かにさせてくれという程度で暴力をふるうこともなく、子どもにも基本的にはむしろ優しいパパしています。これくらいだとあまり気むずかしい天才という感じもしません。ソ連の高官の前では演奏したくないと言って拒否したり、これ以上演奏ばかりさせるならもう演奏はしないと拒否したり、ビジネス関係者はハラハラしますけどね。
予告編は、「音楽のために女性を求める彼を 全てを知りながら支え続けた妻」とされ、その構成から見ても、ラフマニノフが作曲のために結婚後も浮気を続け、ナターシャがそれを知りつつ黙認していたように見えますが、これはミスリーディング。1880年頃(少年時代)、1900年頃(青年期)、革命後の亡命、1920年(亡命後のアメリカ)が入れ替わり出てくるので、錯覚しかねませんが、整理してみると、ラフマニノフが妻以外の女性と関係を持つシーンは全て結婚前。むしろ結婚後は、少なくとも映画のシーンとしては、妻一筋。
そういう点では、ナターシャよりも、新曲発表の大失敗から立ち直れないラフマニノフを、ナターシャに捨てられながら、回復するまで診療を続けたナターシャの婚約者だったドクターの方がけなげ・・・。
その上、この映画の宣伝文句は「天才作曲家セルゲイ・ラフマニノフのあの‘不滅の名曲’誕生秘話が、今明かされる−」でしたが、その肝心の誕生秘話が見ていてもわかりません。
失敗した曲は、アンナに捧げた曲で、その誕生秘話は描かれています。
しかし、不滅の名曲、普通に考えるとラフマニノフが復活を遂げたピアノ協奏曲第2番、の誕生シーンの映像は出てきません。史実としてはピアノ協奏曲第2番の発表が1901年ですから、映画の流れから解釈するとナターシャと結ばれてしばらく後と見えますが、それを印象づけるシーンはなかったと思います。
ラストは、ラフマニノフのスランプからの脱出を予期させますが、しかしその時代はアメリカ時代ですから、どう頑張ってもピアノ協奏曲第2番とは関係ありません。
さらに公式サイトのストーリーなどでは、アメリカ亡命後のラフマニノフに届く贈り主不明のライラックの花束、いったい贈り主は誰なのか?なんて書いてあります。そういう売り方をしているのなら答は書きませんけど、この映画を見ていてそれが予想できない人はほとんどいないと思いますけどね。
予告編や宣伝文句を離れて、虚心坦懐に見れば、作曲をしたいのに周囲の期待と自分のスランプからできないことに苛立ち、望郷の思いが募るラフマニノフを支える妻と、そして娘の家族愛というところだと思います。無理に多数の女性との情事を強調しなくても(だいたい「情熱の女性革命家」マリアンナ(ミリアム・セホン)との情事なんて、少なくともラフマニノフ側の動機として「音楽のため」というのはかなり無理だと思いますよ)、その線で素直にアピールした方がよかったと思います。
度々登場する故郷の生家(豪邸)の庭園の映像が美しい。この映像、日が照ってはいるのですが、どうも日差しが、お日様サンサンという感じではなくて、薄曇りっぽい感じがします。アメリカでの海の映像も曇った感じで、ラフマニノフの心象風景を反映しているんでしょうか。
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