◆たぶん週1エッセイ◆
ろくでなし子さんの逮捕に思う(補論)
当事者が「わいせつな」ものとしてでなくデータを受け渡している外形的・類型的状況の下では、受け渡されたデータは「わいせつな」電磁的記録ではないと評価すべき
当事者の純然たる主観(内心)はむしろ問題ではない
私が書いたろくでなし子さんの逮捕に思うについてのネット上の反応を見ていると、大半の方からは同感だ、納得できるなどの好意的な評価を受けていますが、なかには当事者の主観でわいせつ評価が変わるものではないという意見もありますので、その点について少し論じておきます。
率直に言ってややマニアックな議論に入ります。ろくでなし子さんの逮捕に思うで素直に納得できる人は、以下の議論におつきあいいただく必要はないと思います。
最初に断っておきますが、ろくでなし子さんの逮捕に思うでも、私は、当事者の純然たる主観(内心に秘められた意図)を問題にしているわけではありません。当事者がデータをわいせつなものとしてではなく扱っていると見られる外形的・類型的状況を問題にしているのです。
刑法第175条で頒布が禁止され処罰される対象は、「わいせつな」文書、「わいせつな」図画、「わいせつな」物、「わいせつな」記録ですが、「わいせつな」というのは評価概念で、しかもかなりあいまいなものです。
例えば、アダルトビデオ(裏ビデオ、薄消しビデオ)でそのわいせつ性が議論されるときには、女性器が無修正で映っていれば、まず確実にわいせつと判断されます(裁判で争ったことがありますので、ここは経験として言えます)。しかし、マタニティ教室の教材ビデオに女性器が映っていた場合、出産シーンであればもちろん、妊娠・出産による女性の体の変化の説明の中で映っていた場合も、わいせつと判断されることはないと思います(こちらは事件になったことがないので、常識としての判断ですが)。アダルトビデオは、性的な興奮を誘うことを目的として作成され、見る側もそのために見るものですから、そこに無修正の女性器が映っていれば、わいせつと評価されます。それに対してマタニティ教室の教材ビデオは、妊娠・出産による女性の体の変化やそれに対する対応を学ばせるために作成され、見る側もそれを学習するために見るものですから、そこに女性器が映っていても、そういう目的に沿うような映り方である限り、わいせつとは評価されません。このように、女性器の映像でも、見せる状況によって、わいせつかどうかの判断は変わってくるものです。この点に異論を唱える人は、少なくとも法律家の業界では、おそらくいないだろうと、私は思います。
さて、文書やビデオの中で登場する場合は、このように作品全体の中で判断するとして、女性器の画像やスキャンデータを独立して提供する場合はどうでしょうか。私は、この場合も、どのような当事者間でどのような状況で提供したかによって「わいせつな」ものかどうかの評価は変わってくると考えます。
例えば、整形外科医のグループが、女性器の整形について、どの部分をどのようにすれば美しい仕上がりになるかの経験交流のために、自らの術後患者の女性器を(もちろん、患者の同意を得ることが必要と私は考えますが)撮影し、あるいは3Dスキャンして、その写真・動画・スキャンデータをインターネットやメーリングリストで交換した場合、これは「わいせつな」画像、「わいせつな」電磁的記録と評価されるでしょうか。法律家業界の人は、この場合は、そこじゃなくて正当業務行為ということで処罰されないと主張すべきだという人が多数派かも知れません。しかし、それ以前に私は、この場合、そもそも提供・交換された画像・データを「わいせつな」画像や「わいせつな」電磁的記録と評価すべきでないと思うのです。
例えば、ろくでなし子さんが女性器アートを始めるきっかけとなったような、女性器の形なり女性器そのものにコンプレックスを持つ女性のためにさまざまな女性の女性器を見せ自分の女性器と比べることでそのコンプレックスを解消する活動をする女性グループがあったとします。実際、かつてウーマン・リブの中でこのような活動があったことが知られていますし、現在もそういう活動は行われていると思います。このような活動は部屋で面談しながら行われるのが通常だと思いますが、ITが発達した現在においては、直接顔を合わせるのは恥ずかしいという女性申込者の便宜を図って、ネットを介して女性器の画像やスキャンデータを受け渡しし、電話やスカイプでコミュニケーションを取りながらカウンセリングを行うということも考えられます。このような活動をする場合、ネットを介して受け渡された女性器の画像やスキャンデータは「わいせつな」ものでしょうか。これを「わいせつな」画像や電磁的記録としてその頒布を処罰したら、誰でもおかしいと思うでしょう。この場合、医師等が入っていないボランティアグループだと、「正当業務行為」という議論はなかなか難しいと思います。私は、この場合も、こういった状況の下で受け渡される女性器画像やデータは「わいせつな」ものと評価されないと考えるべきだと思うのです。
このように、女性器の画像やデータが単独で受け渡しされる場合でも、その受け渡しの当事者や受け渡しの状況によって、当事者がそれを「わいせつな」ものでないものとして受け渡しているという外形的・類型的状況の下では、受け渡された女性器の画像やデータは「わいせつな」ものと評価されるべきではないと思っていますし、ろくでなし子さんの逮捕に思うでそう主張しているのです。
ここで、私は、当事者の純然たる主観(内心)自体は問題にしていません。そういう状況の下でも、内心では「わいせつな」気持ちを持ち、性的な興奮を覚えてる人もいるかも知れません。例えばマタニティ教室の教材ビデオの出産シーンに映る女性器映像を見て性的な興奮を覚える人もいるかもしれません。整形外科医の情報交換でも女性器画像を見て性的興奮を覚える人がいるかもしれません。でも、たまたまそういう人が中にいても、だからそのために受け渡された女性器画像が「わいせつな」画像になるというわけではないと考えます。法的な評価は、あくまでも外形的・類型的な状況によって行うべきだと思います。
以上の説明で、私が一般論として言いたかったこと、そして当事者の主観でわいせつかどうかが変わるはずがないという批判が的外れであること、はご理解いただけると思います。
さて、これをろくでなし子さんが逮捕された被疑事実に当てはめますと、女性器を日常化する運動のために自らの女性器をかたどったボートを作成してデモンストレーションを行うために賛同者に寄付を募り、ボート作成に使う自らの女性器の3Dスキャンデータを賛同者に提供する、その際にそのデータは女性器を日常化する活動のためにさまざまな作品を作ることに用いて欲しいと伝えていたという事実からすれば、このデータの提供は、女性器を日常化するという運動のためにその活動家と支援者の間で受け渡しされたものですから、外形的・類型的に見て「わいせつな」ものとしてではなく受け渡されていると考えられます。そのような状況で受け渡された女性器データは、「わいせつな」電磁的記録と評価すべきではないと、私は考えるのです。
そのことは、データを受け取った者の中に、内心では性的興奮を覚えることを目的としていた者がいたとしても変わらないと私は考えます。その理由は既に述べた通りです。
人間というのは完全なものではありませんし、100か0かで生きているわけでもありません。基本的にはろくでなし子さんの運動の趣旨に賛同して活動しているけれども、実際に女性器データを見れば(3Dプリンタで再生してみたら)欲情してしまうということがあるかも知れません。また内心では女性器データを見たいだけだけれども運動に賛同する格好をしているという人もいるかもしれません。でもそれでもいいのだと私は思います。賛同していない人を少しずつ巻き込んでいくのが運動の拡大でもあります。
このあたりでは、私が言う一般論は同意できるけど、この事件への適用には違和感があるという人も出てくると思います。それも含めて議論をしてもらえばいいと私は思っています。
【追記】
このページで私が述べていることは、「ろくでなし子さんの逮捕に思う」の冒頭で断っているように、逮捕報道を見て私が考えた私自身の意見であり、ろくでなし子さんの意見とも、弁護団の見解とも、まったく関係ありません。
最初の逮捕に対して弁護団の準抗告により裁判所が勾留を取り消して釈放されたろくでなし子さんを、2014年12月3日、警察が再度逮捕し、再逮捕の容疑は、報道によれば、女性器をかたどった作品(商品)の陳列と、最初の逮捕時とは別の人に対する女性器3Dデータの頒布とされています。ここでの議論は、女性器3Dデータの頒布に対応するもので、女性器をかたどった作品(商品)の陳列にはあまりフィットしません。
なお、このページの記載について、私が「整形外科」といっているのは、「形成外科」の誤りだという親切なご指摘をいただきました。そう直した方が(お医者さんの業界的には、また学術的には)正しいでしょうけど、世間的には、「形成外科」っていうと、何だろうという反応の方が多いように思え、整形外科の方が、意味が通るような気がします。
(2014.7.16記、12.23追記)
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