たぶん週1エッセイ◆
映画「桜、ふたたびの可奈子」
 幼い娘を交通事故で失った母の再生を描いた映画「桜、ふたたびの可奈子」を見てきました。
 封切り4週目土曜日・GW初日、ヒューマントラストシネマ渋谷シアター2(173席)午前9時50分の上映は2割程度の入り。中年カップルが多数派のように見えました。

 小学校入学の日に、小学校の前で交通事故に遭い死んだ娘可奈子の死を受け入れられない母桐原容子(広末涼子)は、可奈子の部屋で自殺を図るが何ものかの通報により駆けつけた救急隊員に命を救われ、その後可奈子はそばにいると言って見えない可奈子を連れ歩き可奈子の食事を用意する。可奈子の死を認めずに奇異な行動に走る妻を夫(稲垣吾郎)は諫めるが、ある日飼っていた犬ジローが逃げ出したのを追って行くうちに倒れていた高校生の妊婦正美(福田麻由子)と知り合った容子は、正美を見舞ううちに、生まれた女児夏月を可奈子の生まれ変わりと信じ込んだ。可奈子の法事にも出ず可奈子が生きていると言い続ける容子に耐えられず離婚を切り出した夫は、容子から夏月を養子にしたい、それが済んだら離婚してもいいと言われ、それで容子が幸せになれるなら一緒に育てようと答えた。容子は正美に養子の申し出をし、正美の心は揺れ動くが…というお話。

 容子の視点で見るか、夫の視点で見るか、夫婦で見るとなかなか微妙な作品かなと思います。
 入学の様子をカメラに収めようとカメラを探して目を離したすきに娘が交通事故死した母親の哀しみと自責の念は察するにあまりあります。娘の死を受け入れられずに、娘は生きている、生まれ変わりがいると思い込むあたりは、同情するところとついて行けないところが相半ばしますが。それでも、幼い夏月がママと言ってごらんと言われて「ママ」と呼んだのを聞いた容子が「ママって呼ばれることがずっとなかったから」と感極まるシーンは、やはり泣いてしまいました。
 仏壇の前で手を合わせ、49日、1周忌、3回忌と墓前で親族と法事を進め、容子に可奈子は死んだんだと諭し続ける夫は、容子の心情からはずれていていかにもデリカシーに欠けるように見えますが、でもおそらくはそれが普通の感性で標準的な夫なのだろうと思えます。心が壊れ、奇異な行動をとり続ける妻にどこまで耐えられるかというテーマは、これまた重くつらいものがあります。
 最終的には、生まれ変わりで処理しているところが、現実感を欠きますが、喪失と希望、夫婦の心情という点ではまあまあのところかなという印象を持ちました。

 桜の美しさと、子どもたちのかわいさが印象に残る作品です。容子が、生まれ変わりじゃないかと思って、「好きな食べ物は?1.カレーライス、2.ハンバーグ、3.オムライス」とオムライスだけ少し間を取ってこう言って欲しそうな様子で誘導しても「ハンバーグ」と答えたり、好きなおやつで、アイスの誘惑にめげずにせんべいと答えたりする姿がいじらしい。生まれ変わりの子が(前の)お母さんの名前を聞かれた答え、私には「まちよ」に聞こえた(台本では当然「容子」のはず)のですが、そのあたりもご愛敬かなと。

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