たぶん週1エッセイ◆
映画「サヨナライツカ」
ここがポイント
 弱肉強食と利己的な出世志向をよしとする価値観に生きる企業人男と、奔放な悪女のはずなのにそれを賞賛し待つ女という古いセンスのラブ・ストーリー
 悪女よりも良家の子女の方が怖い気がする

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 辻仁成の小説をその妻中山美穂主演で映画化した「サヨナライツカ」を見てきました。
 封切り3週目土曜日午前中は4割くらいの入り。恋愛映画らしくカップルが多い感じでした。

 良家の娘の婚約者尋末光子(石田ゆり子)を日本に残してイースタンエアラインバンコク支社に赴任してきた野心家の青年東垣内豊(西島秀俊)は、裕福で奔放な美女真中沓子(中山美穂)に見初められてたちまちのうちに肉体関係を持ち、光子からの電話に上の空で対応しながら沓子と爛れた性生活を続けるが、結婚の日が迫り沓子に何度も別れを切り出しながら別れられずにいた。結婚式の準備のためにバンコクを訪れた光子は沓子を訪ね、豊と沓子が体だけの関係にすぎないことを思い知らせて沓子に別れを迫り、沓子はニューヨークへと旅立つ。25年後、イースタンエアライン副社長となった豊は社用でバンコクを訪れて沓子と再会し・・・というお話。

 様々な意味で70年代的な(あるいはむしろ60年代的かも)映画と感じました。
 まず豊に対する評価。豊は飛行機をたくさん飛ばしたい、そのために航空会社の社長になりたいという、「夢」と言うよりは高度経済成長時代にはむしろパターン化されていた野心を持つ自信過剰なエリート社員。やることも政治家に賄賂を送って空港での窓口を目立つ場所に移して自分の手柄としたり、それまでパートナーとして長年提携してきた地元企業を切り捨ててそのライバル会社と提携するなど、汚れたことや他人を踏みつけにすることを何とも思わない利己的な出世志向の人物です。こういう人物を、まわりが「好青年」と呼んだり、沓子が「あなたの夢に惹かれたの」なんて、現代のセンスでは到底考えられません(今、こういう人物は「惹かれる」のではなく引かれちゃうでしょうね)。高度経済成長時代の、弱肉強食が正しいと思われていた時代の感性ですね。
 豊と沓子が関係を持つきっかけとなる野球の試合。だいたい野球が表舞台というだけでも70年代っぽいですが、試合で豊が上司の監督からバントのサインが出ているのに反発し、監督が点差を考えれば1塁ランナーを2塁に送ってタイムリー専門の次の打者に期待するのが当然と説明したのにこれを無視してホームランを打つという展開。私が子どもの頃国語の教科書に載っていた「星野くんの2塁打」そのもの。ただ2塁打がホームランになっただけですね、これ。子どもの頃、結果オーライなのに何で星野君が監督から不興を買うのか不条理で、それで記憶に残っているんですが、まさに組織のために己を殺せという企業人教育の教材だったわけです。そういうのが出てくるのも70年っぽいし、沓子がホームランボールに書くのが「ラブピース」というのも・・・

 映画として一番違和感があったのは、奔放なファム・ファタル(とりあえず単純に「悪女」としておきましょう)の役どころの沓子が、豊と別れた後、おとなしく25年待ち続けるという設定。これはかなり無理を感じました。別れた元のダンナがより若い女と仲良くしているのを見るシーンがあり、いつまでも美貌を売りに男をたらし込めないという自覚・焦りはあるでしょうけど。
 ストーリーとしては、もっぱら愛されることに喜びを感じてきた沓子が愛することに目覚めたという示唆はあるのですが、しかしその相手が豊というのがまた納得できません。私が男で上で述べているように豊が気にくわない奴だということで納得できないという面もあるでしょうけど、最初から体だけの関係というのが見え見えで、本人もそう明言し、セックスしているとき以外はつれない態度をとり続ける豊との関係で愛することに目覚めるってあんまり。恋する人はまわりからは理解できないことが多々ありますが、それにしても。

 中山美穂の若作りが話題の映画ですが、陽光の下の野球観戦のシーンは年増顔ですし、その後のHシーンはソフトフォーカスとバックライトを駆使して若く見せようという努力が見え見えで苦笑してしまいます。しかし、その後の車でのいちゃつきシーンはソフトフォーカスをかけてなくても割と若々しい。
 豊が改めてバンコクに向かうときに部下に残す言葉が、今度は犠牲バントをするって、これがまたこの人物の身勝手さというかズレを感じさせます。自分が会いたいから行くのに「犠牲」って、老いた沓子へのお情け、慈善行為だとでもいうのでしょうか。それに犠牲バントっていうのはフォア・ザ・チームでしょ。社長が会社ほっぽり出してかつての愛人に会いに行くのがフォア・ザ・チームか(こんな奴いなくなった方が会社のためかもしれんが)。野球がストーリーに使われ続けているのに、こいつ全然野球のことわかってない。ミポリン、純愛映画にするならもう少しマシな奴を好きになってよ。
 光子が沓子に別れを迫るシーン。婚約者と愛人のメンツを賭けた勝負ですが、沓子が悪女の設定にしてはあまりに素直すぎて勝負になりません。良家の娘の光子のとげとげしい態度は見せない内に込めた意地の悪さにちょっと戦慄します。それにしても、石田ゆり子のお点前のシーン。茶道を「ちゃどう」って読む?(すみません。裏千家では「ちゃどう」なんだそうです m(_ _)m:追記)

(2010.2.6記)

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