庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

たぶん週1エッセイ◆
映画「グローリー 明日への行進」
ここがポイント
 非暴力運動と演説ばかりでなく、政権との交渉駆け引きを描いているところに見識を感じる
 演説を「誰がジミー・リー・ジャクソンを殺したか」に絞ったのも、意外に効果的

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 マーティン・ルーサー・キングJr牧師が率いたセルマでの行進と血の日曜日事件を中心に公民権運動とキング牧師を描いた映画「グローリー 明日への行進」を見てきました。(見てから6日後に書いている私って…)
 封切り2週目日曜日、TOHOシネマズシャンテ1(224席)午後1時35分の上映は7割くらいの入り。

 1870年に法律上は黒人にも選挙権が認められたが、黒人が選挙権登録に行くとさまざまな嫌がらせを受け登録が拒否され、1965年時点でアラバマ州のいくつかの郡では過去50年間選挙権登録を認められた黒人は一人もいなかった。そして陪審員は選挙権者から選ばれるため、黒人の陪審員はおらず、黒人が白人に殺害されても有罪となることはなかった。1964年にノーベル平和賞を受賞したキング牧師(デヴィッド・オイェロウォ)は、民主党のリンドン・ジョンソン大統領(トム・ウィルキンソン)に黒人の選挙登録の妨害をさせないための「投票権法」の制定を迫るため、1965年3月7日、アラバマ州セルマから州都モンゴメリーまでのデモ行進を企画した。しかし、セルマを出るエドマンド・ペタス橋の出口で待ち構えていた州警察と白人の民兵がデモ隊に催涙ガスを撒き警棒で滅多打ちにした(血の日曜日事件)。黒人が次々と殴り倒されるニュース映像を見て全国から白人を含めた支援者がセルマに駆けつけ、キング牧師は再度行進を始めるが…というお話。

 キング牧師を描いた長編映画はこれが初めてだそうです。公式サイトのプロダクションノートでは、監督の意向として「キング牧師という神聖不可侵の偶像の覆いを剥ぎ取り、彼を血の通う生身の人間─欠点や迷いを抱えながらも、周囲の人々の尽力によって支えられた不屈の闘志を持つ人間として描き出したい」とされ、絶えず自身や子どもへの殺害予告に悩まされる姿、その不安にさらされ続ける妻コレッタ(カーメン・イジョゴ)との確執、キングの私生活を盗聴し続け電話で不倫テープを聴かせるFBIからの嫌がらせなどが描かれています。
 しかし、私の目には、それよりもこの映画では、ジョンソン大統領との直接交渉も含め、キング牧師と政権側のやりとり駆け引きの場面が多数登場することが、キング牧師の活動をきちんと捉えたものと映りました。ともすれば、非暴力不服従運動について、ガンジーも含めて非暴力でデモをしていれば運動的に勝てるかのような幻想がもたれがちですが、非暴力のデモで世論に訴えながら、目標を実現するためには政権との交渉駆け引きが不可欠であり、政権に要求を飲ませるための政治力、運動と提案の構想力が必要だと思います。そういう部分を普通に描いているところに見識を感じます。

 この作品は、時期的には、キング牧師の運動の一つの頂点と言えるワシントン大行進とそこでの " I have a dream " 演説の後から始まっています。キング牧師の映画でありながら、あえて、かの有名な " I have a dream "を回避しています。アラバマ州でのアニー・リー・クーパー(オプラ・ウィンフリー)の選挙権登録が拒否されるシーンから始めて、ワシントン大行進直後の1963年9月のバーミングハムでの教会爆破事件に至ります。この教会爆破事件で4人の黒人少女が犠牲になり、犠牲者たちに弔辞を捧げながら、復讐を抑え非暴力を説くキング牧師の演説は、非暴力運動の悩ましさ、苦悩を体現するものですが、この作品ではそのシーンはカットされています。セルマでの夜間デモ行進に対して警官隊が弾圧を加え喫茶店に逃げても追ってきた警官隊から両親を守ろうとしたジミー・リー・ジャクソン(キース・スタンフィールド)が警官に発砲され、死亡します。この葬儀の際の演説、「誰がジミー・リー・ジャクソンを殺したか」が、この作品でのキング牧師の演説のクライマックスとなります。" I have a dream "ではなく、「あなたの敵を愛せよ」でもなく、演説集では少し地味な印象の「誰がジミー・リー・ジャクソンを殺したか」かと、少し驚く選択ではありますが、デヴィッド・オイェロウォの演説は迫力があり、人々をセルマの行進へと駆り立てて行き、映画の構成としても説得力がありました。
 キング牧師の生涯というような描き方ではなく、ポイントを投票権法に向けたセルマでの運動に絞り、それに合わせて演説も、「誰がジミー・リー・ジャクソンを殺したか」に事実上絞ったのは、効果的ではあります。しかし、それならば、バーミングハムでの教会爆破事件の入れ方はむしろ中途半端(アメリカではそれだけでピンとくるのでしょうけれど、日本の観客には説明もなくその後のフォローもないとよくわからない印象だと思います。まぁ日本の観客向けに作ってないでしょうけど)に思えます。バーミングハムでの教会爆破事件を入れる以上は、ワシントン大行進の勝利への白人差別主義者からの反撃としての爆破事件とそれによる黒人・キング牧師の衝撃、その中での復讐を思いとどまるよう語るキング牧師の苦悩というセットで描かれるべきでしょう。また、そういう描き方なら、1964年のノーベル賞受賞演説も入れる必要があったか…

 冒頭の、アニー・リー・クーパーの選挙権登録に嫌がらせをして拒否するアラバマ州の役人、それを指示し容認しているアラバマ州知事ジョージ・ウォレス(ティム・ロス)の姿を見て、50年前のアメリカ南部は、なんて酷いところだったろうと、観客のほとんどが思ったと思います。
 しかし、私には、この法律上は権利がありながら役所の窓口で不法に権利行使を拒否されるアニー・リー・クーパーの姿、それを指示し容認しながら大統領から指摘されると役人が勝手にやっているとうそぶくウォレスの姿に、生活保護が法律上の権利でありながら受給要件を満たす困窮者を、あの手この手で申請させずに窓口で追い返す「水際作戦」を敢行している現在の日本の役所と、不正受給のケースを言い立てて生活保護を受けることが悪いことであるかのような不正受給・自己責任キャンペーンを繰り広げる政治家とその尻馬に乗るマスコミの姿が重なりました。
(2015.7.4記)

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