◆たぶん週1エッセイ◆
映画「死刑台のエレベーター」
吉瀬美智子のキャラと表情がいい/玉山鉄二と北川景子は浮きまくり
阿部寛がこの設定でどうしてエレベーターに乗るか、私には理解できない
ヌーヴェルヴァーグの名作映画のリメイク版「死刑台のエレベーター」を見てきました。
封切り3週目土曜日、渋谷HUMAXシネマ午前中の上映は1〜2割くらいの入り。観客層は中高年の一人客が多数派。オリジナル版(1958年)をリアルタイムで見たかと思われる年齢の人をはじめ、オリジナル版に思い入れのある人が中心なんでしょうね。私は、オリジナル版は見てないんですが(オリジナル版のニュープリント版が渋谷の別の映画館で公開中で、館内が暗くなって最初の予告編がそれだったので、ちょっと笑ってしまいました)。
実力のある医師でありながら手術のミスで患者を死なせ途上国での医療奉仕を続けて疲弊していたところを手都会長(津川雅彦)に拾われて今度は人体実験をやらされた時藤(阿部寛)は、手都会長の妻芽衣子(吉瀬美智子)と不倫の関係にあり、芽衣子から手都会長を殺して一緒になろうと言われて、芽衣子の計画に従って手都会長を銃殺し、その銃を握らせて会長室を密室にして立ち去る。ところが、自分の執務室のバルコニーから秘書の目に触れずに会長室まで行くために用いたロープが気になって戻り、回収して再度退出しようとして乗ったエレベーターが、警備員が退勤時に電源を切ったために停止して閉じ込められてしまう。時藤を待つ芽衣子は、時藤が約束の店に現れず、時藤の車が女を横に乗せて走り去るのを見て動揺し、時藤を探してさまよい歩く。他方、警備中に暴力団とけんかになって拳銃を奪われ、その暴力団を追ううちに組長神(平泉成)の情婦(りょう)が自分の別れた恋人であることを知った警察官赤城(玉山鉄二)は、今の恋人の美容師美加代(北川景子)とともにキーを刺したまま止めてあった時藤の車で神を追って箱根のホテルに行き、時藤を名乗ってチェックインして、神に拳銃と情婦を返せと迫るが・・・というお話。
芽衣子と時藤の関係とか、殺人に至る経過や心情とかが今ひとつ作り込まれていないきらいはありますが、吉瀬美智子のキャラと表情がいい、そういう映画かと思いました。阿部寛も、不器用で寡黙って感じですが、そういう表情のつくりがこの映画ではよかったと思います。
それに対して、玉山鉄二と北川景子は、ちょっとね、いまいち、いまに、いまさん・・・。玉山鉄二の方は、警官としてあり得ない行動ばかりの上に、前の恋人を追うのに今の恋人を連れて行くかとか役柄上の無理もずいぶん多いんですが、それと別に、熱が入ってないというか白けているというかそういう態度が役柄の行動とフィットしていないと思います。この役柄の行動からすると激情で突っ走るか、白けた感じでやるならもっと悟ったか斜に構えた感じの醒め方でやるかだと思うんです。ただ単にやる気がない様子の態度なので、どうして神を箱根まで追いかけるのか、その先さらに突っ込んでいくのか、違和感ばかり残ります。北川景子は、客でもある時藤の車を盗んで最初はこれ犯罪でしょなんて言いながら、その後は無意味にはしゃぎっぱなしでいかにも不自然。主役2人と長老たち(津川雅彦や平泉成の他、柄本明とか)が渋めの雰囲気を作っている中でこの2人が浮いています。
ストーリーでは、一番のキーポイントの時藤がエレベーターに閉じ込められる設定に無理があります。秘書から5時30分に電源が切られることを知らされていながら時間も確かめずにエレベーターに乗るかという疑問だけでなく、そもそも秘書の手前いったんビルから出て再度忍び込んでロープを回収したわけですから人に見られたくない思いが強いはずの時藤は、第一選択は非常階段でしょうし、非常階段がなかったとしてもエレベーターが動いていること自体を警備員に見とがめられるリスクがあるときにエレベーターに乗るでしょうか。
赤城と美加代の行動は、いちいち考えたくないくらい大部分が不自然。演技が行動にフィットしていないためにより不自然に見える面もありますが。
名作のリメイクで、不安なんでしょうけど、オリジナルの監督ルイ・マルの息子マニュエル・マルを制作陣に取り込んで公式サイトで「作品の出来映えにもとても満足しております」なんて書かせています。オリジナルの監督の遺族の名前で権威付けって興ざめ。
ま、いいんですけど、ラスト近くでベテランの柳町刑事(柄本明)が「時藤の服役は20年」と言っています。現実の裁判だとどうかなという疑問はあります(昨今のマスコミの論調やそれに影響された刑事裁判の量刑の状況からは十分ありそう)が、それはさておき、だったら「死刑台のエレベーター」にならないじゃん、と思ってしまいます(横浜の夜景の美しい映画でしたので、最後は横浜弁で)。
(2010.10.23記)
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