◆たぶん週1エッセイ◆
映画「シン・ゴジラ」
かつては反核・反戦のシンボルでさえあったゴジラが緊急事態条項導入の道具にされるのは悲しい
安倍自民と大阪維新などの改憲勢力を支持する若者層にこれからは君たちの時代だと媚びを売るよう
「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」シリーズの最終作予定のタイトルを「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」と発表したきり一向に作れない庵野秀明監督が、その隙間に作ったゴジラ新作その名も「シン・ゴジラ」を見てきました。
封切り3日目日曜日、新宿ピカデリースクリーン3(287席)午前11時15分の上映は、ほぼ満席。
通常以上にネタバレの議論をしますので、これから見る予定の方はご注意を。
東京湾で発生した学者の失踪と救出に向かった海保巡視艇の遭難、海底トンネルの損傷をめぐり、緊急対策本部で、官房副長官矢口(長谷川博已)は巨大生物の疑いを進言するが、官邸は新たな海底火山か熱水噴出口と判断する。しかし、会議のさなか、海上に尻尾が振り上げられる映像がテレビ放映され、巨大生物対策本部が立ち上げられるが、省庁の縦割りや権限、根拠法律をめぐり会議は混乱する。巨大生物は、大田区から川を遡上して陸に這い上がり、上陸後さらに巨大化し2本脚歩行を開始し街を破壊し続け、防衛大臣(余貴美子)と官房長官(柄本明)の進言で首相(大杉漣)は自衛隊の出動を決断するが、住民の避難が未了という報告で攻撃開始直前に中止命令を発する。行方不明の学者を追っていたアメリカ大統領特使カヨコ・アン・パタースン(石原さとみ)は矢口に接触し、アメリカ政府はその学者により " Godzilla " と名付けられた巨大生物を追っていると伝えた。ゴジラは、なぜかそのまま海中に戻ったが、後日、より巨大に変身して相模湾から上陸し、東京方向に突き進んだ。首相権限で自衛隊による全面攻撃が始められたが…というお話。
「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」シリーズと同様、公式サイトには何の情報もありません。キャストさえ、役名記載なしで名前が羅列されているだけ。今どき、ここまで不親切なサイトは珍しいと思います。
前半のテーマは、緊急事態に遭遇した際に、法律の根拠がなく、省庁が業務を押しつけあい省益重視の保身に徹する中、会議と手続にばかり時間を取られ、有効な対策を実施できない政府に対する揶揄と批判です。あからさまに、私たち中高年層では「有事立法」、昨今では「安保法制」「緊急事態条項」と呼ばれるものの整備を求める、あるいはそれを主張する政治勢力をサポートするものです。
後半は、米軍の核攻撃宣言に対して、オタクっぽい若手の官僚や学者たちが結束してそれより先にゴジラを倒す作戦に奔走し、結果を出す、オールジャパンで戦えばけっこういけるぜ、日本人の底力はすごいって、自画自賛する民族意識・国粋意識の高揚が見せ場になります。
そしてさらにもう一つのテーマは、老人たちが牛耳る政府の非効率・無能ぶりを、若手政治家と若手官僚の目から苦々しく「老害」と描き出し、若手の活躍で問題を解決する過程を見せて、これからは自分たちの時代だという世代交代の主張をすることにあります。
合わせて言えば、安倍自民と大阪維新などの改憲勢力を支持する若者層をターゲットに、これからは君たちの/我々の時代/出番だと言っている(監督の世代を考えればネトウヨ若者層に媚びている)作品なのだと、私は思いました。
東宝の宝であった初代ゴジラは、被爆国日本にあって、放射能により突然変異で生まれた怪物として、恐怖と不安の対象として描かれていました。この作品で、ゴジラは、人間を超えた究極の進化を遂げた生物、未知の放射性元素を内蔵する科学の発展のカギを握るものとして、恐怖と殲滅の対象であるとともに人類にとって有用なものという肯定的な評価がなされています。それはまさしく、放射能について、否定的な側面だけでなく、人類に恩恵をもたらすものとして、またしても懲りることなく「原子力明るい未来のエネルギー」と言おうとするものでもあります。
かつて、原爆を生み出した科学とそれを操る者たちへの不信と、さらには反核・反戦のシンボルとさえなっていたゴジラを、戦争法制、緊急事態条項導入の道具とし、原子力利用の有用性さえもアピールする材料とすることには、私は強い反発を感じます。
怪獣映画なのだから、そうならざるをえない、でしょうか。ゴジラに大型高所放水車で血液凝固剤を放水するというのは、福島原発事故の際の使用済み燃料プールへの放水をイメージしたものと考えられます。そうであれば、ゴジラに有効に対処できない政治家・官僚たちを描くにも、「法的根拠」よりも、「想定外の事態です」「巨大生物の存在を主張した学者がいたのに御用学者を動員して握りつぶしたのはお前の省だろう」「はっきりした証拠もないのに巨額の費用をかけて対策なんかできるか」などのやりとりをさせてもいいでしょうし、血液凝固剤の注入でゴジラが活動を停止した後についても、ゴジラが活動を再開しないように血液凝固剤を注入し続けるということに(映画でなければ当然に)なるはずですが、注入した分が傷口などから流出し放射能を含んだ汚染水となり、その対策に苦しみ、対策をめぐる利権争いが生じる等の展開を描くなど、現政権に媚びることなく非効率な政府のありようを表現することはできたはずです。
最初は愛嬌のあるトカゲふうだったゴジラが最初にあげる雄叫びは「トトロ」のようですし、その後「進化」するのは、ポケモンのイメージでしょうか。
「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」とあわせて上映された、「巨神兵東京に現わる」での特撮・街並みの破壊と殺戮を撮ったときから、ゴジラもやりたかったのかなぁ、という感じですが、それが動機だったら、変に政治ストーリーをつけないで怪獣映画に徹した方がよかったような気がしますが。
(2016.7.31記)
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