たぶん週1エッセイ◆
映画「信さん 炭鉱町のセレナーデ」
ここがポイント
 ガキ大将だった信一が2まわりも年上の守の母に思いを寄せる純情でまどろっこしい恋愛物語
 働く人々が貧しさから抜けられないのは、かつてとは違って、今ではもう昔のこととは感じられないというのが、日本の現実。ノスタルジーよりも、そういう哀しさを先に感じる

Tweet 

 高度経済成長期の斜陽産業となった九州の炭鉱町の人々の生き様と人情を描いた「信さん 炭鉱町のセレナーデ」を見てきました。
 全国公開から3週目(福岡県では2010年5月に先行上映)日曜日、新宿ミラノ3での午前11時40分からの上映は1割程度の入り。観客層は中高年中心。

 九州の島の炭鉱町に母美智代(小雪)に連れられて移り住んだ小学生の守は、学校にもなじめずにいたが、いじめっ子に囲まれていたところを、ガキ大将の中岡信一に助けられる。信一は、通りかかった守の母美智代に恋心を抱き、こっそり花や果物を届け、美智代が洋裁店の仕事をするのを見守ったりしていた。幼い頃に父を亡くし、叔父に引き取られていた信一は、子どもたちを指揮してボタ拾いなどで小金を稼いでいたが、いたずらや盗みの疑いをかけられたりで、度々折檻を受けていた。じん肺で坑内作業ができなくなった信一の叔父が亡くなると、信一は新聞配達をはじめ、守たちとは遊べなくなっていく。血のつながらない妹の美代を高校に行かせたい信一は炭鉱で働き、さらに稼ぐために来春からは東京の部品工場で働く算段をつけたが・・・というお話。

 斜陽産業となった炭鉱で働く人々の貧しさ、その貧しい中でもさらに差別される在日朝鮮人一家の思い、貧しい中でもたくましく助け合って生きてゆく人々の人情が描かれています。
 その中で親の愛を受けられずに育ち、悪ガキでませガキのガキ大将だった信一が、2まわりも年上の守の母に恋心を抱き、一途に思いつつもその思いを正面からは伝えられず思いを遂げられないという純情でまどろっこしい恋愛物語がストーリーの軸になっています。
 こっそりひまわりの花束や干し柿の束を届ける(実際にはバレバレ)信一の姿は、ごんぎつねのようにかわいく、それに気付く美智代の幸福感が観客にもシェアされるようで心地よい。
 ただ小学生の頃にませガキだった信一が青年になるにつれ実直ないい人になっていくのに、小学生の頃は純情でまじめだった守が高校生になるとひねた感じになり平凡なおっさん臭くなるのは、物語が守の視点だけにちょっとどうかなと思いました。

 60年代から70年代前半の日本の貧しさと、貧しい中での人情をノスタルジックに描いたのでしょうけれども、映画を見ていてあまり過去のことと思いにくい。
 1984年に、司法修習生として福岡で実務修習をしていたとき、三井有明鉱で火災事故があり多数の人々が亡くなり、弁護修習先の事務所が遺族の代理人をすることになり私も聞き取りに行きました。その頃に訪れた炭鉱住宅の様子も、この映画とあまり変わらぬ様子でしたし、多くの人々の命があまりにも簡単に失われることも、遺族たちの嘆きも同様でした。そういうことからも、この映画が60年代や70年代の過去とは感じられませんでした。
 そして働く人々が貧しさから抜けられないのは、かつてとは違って、今ではもう昔のこととは感じられないというのが、日本の現実と思えます。ノスタルジーよりも、そういう哀しさを先に感じてしまいました。

(2010.12.12記)

**_****_**

 たぶん週1エッセイに戻る

トップページに戻る  サイトマップ