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たぶん週1エッセイ◆
映画「オーバードライヴ」
ここがポイント
 一応大人になってもなお未熟な息子と、かまってやれなかったと負い目を持つ父親の親子関係がテーマ
 麻薬との戦いを主張し、そのために目的のためには手段を選ばない政治家と政府のやり方に対する強い批判が読み取れる

Tweet  はてなブックマークに追加  オーバードライヴ:映画 | 庶民の弁護士 伊東良徳

 友人から郵送されてきたドラッグを受け取って現行犯逮捕され最低10年の刑務所暮らしをするハメになった18歳の息子の減刑を勝ち取るために麻薬取引のおとり捜査を買って出る父親の奮闘を描いた映画「オーバードライヴ」を見てきました。
 封切り2週目日曜日、新宿ミラノ2(588席)午前11時45分の上映は1割足らずの入り。

 友人クレイグからドラッグを郵送する、1日預かってくれという申し出を受けて断れなかった18歳のジェイソン(ラフィ・ガヴロン)は箱を開けるや警察官に囲まれ、麻薬密売の疑いで逮捕される。麻薬密売で逮捕されたクレイグが減刑のためにジェイソンをはめたのだった。離婚した妻(メリナ・カナカレデス)からの連絡で駆けつけた父ジョン・マシューズ(ドウェイン・ジョンソン)は弁護士から刑は所持していた麻薬の量に比例し他の情状は一切考慮されず減刑を受けるためには他の麻薬密売人逮捕に協力するほかはないと聞かされ、ジェイソンに麻薬密売人を告発するよう求めるが、ジェイソンはクレイグ以外には密売人を知らない、無実の友人をはめることはできないと拒否した。ジョンは連邦検事キーガン(スーザン・サランドン)に掛け合うが、この法律に例外はないと拒否される。単身路上で密売人に声を掛けて反撃されパトカーに危うく助けられたジョンに、キーガンはあきれつつ、ジェイソン本人でなくてもジョンが麻薬密売人の逮捕に協力すれば減刑に応じると約束したが、大量の麻薬取引を押さえなければならないと高いハードルを設定した。ジョンは自分が経営する運送会社の従業員の履歴書を洗い、麻薬密売の前科があるダニエル(ジョン・バーンサル)に麻薬密売人を紹介して欲しいと頼み、最初は断られるが多額の報酬を提示して密売人マリーク(マイケル・K・ウィリアムズ)を紹介してもらい、麻薬の運び屋を買って出る。対立組織の襲撃を受け命からがらジョンは麻薬を約束の場所まで運ぶが…というお話。

 一応大人になってもなお過ちを犯す未熟な息子と、息子の成長の過程で仕事一筋でかまってやれなかったと負い目を持つ父親の親子関係、父親の自責の念と息子への思いがテーマの作品です。父と息子の関係は、主役のジョンとジェイソンのみならず、ダニエルと幼い息子、さらには麻薬組織のボスのエル・トポ(ベンジャミン・ブラッド)と幼い息子まで登場し、どの父も息子には修羅場を味あわせたくないという姿勢を見せます。昨今そういうパターンが多いですが、でも子どもの成長の観点からそれでいいのか、父親は一体いつまで息子のめんどうを見続けなければならないのか、息子のために犠牲にならねばならないのか、ちょっと疑問に思います。
 公式サイトのトップやポスターには「止まらない、暴走!」と大書され、日本語タイトルも「オーバードライヴ」とされ、ガンアクション、カーアクションもありますが、それが中心の映画ではありません。

 麻薬犯罪に重罰を科すとともに、麻薬密売人の逮捕に協力すれば減刑する(それ以外の情状では減刑されない)という制度の厳しさと不条理への批判がこの作品を貫いています。麻薬との戦いを主張し、そのために厳罰を科すとともに密告を勧めおとり捜査を推進するなど、言ってみれば目的のためには手段を選ばない政治家と政府のやり方に対する強い批判が読み取れます。こういう映画が比較的大規模に興行されそこそこはヒットするところがアメリカ民主主義の底力かなと思います。
 司法取引は日本では存在しないということになっていますが、薬物犯罪で逮捕された被疑者に対して、密売人の名前を話さないと「反省していない」と評価して刑を重くするということは日本の刑事司法でごく当然のように行われています。重い刑を科せられたくなければ密売人の名前をはけ、仲間を売れという恫喝は、司法取引の制度など法律上存在しなくても、「反省しているか」の基準をそこに置くことで実務の運用として容易になされ正当化されています。検察官・行政・政府にとって有利になる方向には、日本独特の「解釈」による運用がいとも簡単になされます。保釈が権利であるという法律の規定があっても、自白しない者には「罪証隠滅の恐れがある」と日本独特の解釈によって保釈を認めない「人質司法」と呼ばれる運用と同様に。こういうあたりを日本のマスコミやメジャーな映画が声高に批判するということはあまり期待できないですもんね。

 原題の Snitch 。クィディッチの試合でシーカーのハリー・ポッターが追い続ける金色の玉、のことではありません。J.K.ローリングの造語かと思っていたので意味を調べたことなかったのですが、「密告者」の意味があるんですね。
 ここでも、アメリカの制作サイドでは密告を奨励する司法制度への批判を表に出していますが、これを「オーバードライヴ」なる日本語タイトルにした日本の興行サイドはカーアクションで売ろうという意識が前に出ているということが読み取れ、対称的で示唆的です。アメリカでは公開初週末(2013年2月22〜24日)から2位、5位、5位、6位、10位とそこそこの興行成績を上げました(全体では2013年のベスト30になんとかというところ。昨日見た「ザ・コール 緊急通報司令室」より少し下)が、日本では公開初週末(2013年11月30日〜12月1日)にベスト10にも入れませんでした。司法取引問題への関心(知識)の違いと言えるかもしれませんが、興行サイドの姿勢・思惑の違いを反映しているのかも。
(2013.12.8記)

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