◆たぶん週1エッセイ◆
映画「そこのみにて光輝く」
底辺で生きる若者たちの人情の機微を味わう作品
寝たきりの父が哀れ (T_T)
失意の日々の中での出会いと少しの希望を描いた映画「そこのみにて光輝く」を見てきました。
封切り2週目土曜日、ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1(162席)午前9時50分の上映は2〜3割の入り。
石切場での発破の際に事故で人を死なせ仕事を辞めて酒とパチンコに明け暮れる佐藤達夫(綾野剛)は、パチンコ屋で火を貸してくれと言うなれなれしい見知らぬ若者大城拓児(菅田将暉)にライターを渡してパチンコ屋を出るが、拓児は自転車で達夫の後を追い、家に寄って飯を食って行けという。拓児の家は海岸沿いのバラックで、寝たきりの父(田村泰二郎)、やつれた母(伊佐山ひろ子)とともに姉千夏(池脇千鶴)が住んでいた。拓児は人を刺して刑務所からの仮釈放中で、千夏を愛人とする造園業者(高橋和也)の下で働き、千夏は疎ましく思いつつも拓児を預けていることから別れられずに関係を続け、夜は場末の売春宿で身を売って暮らしていた。石切場への復帰を誘う親方(火野正平)の誘いを断る達夫に、拓児は姉からの独立を求めて石切場で働きたいといい、達夫は千夏にあんなところで働くのはやめろと言って、何様のつもりかと反発されつつ、千夏と拓児とともに石切場での生活を考え始めるが…というお話。
まわりに何かと話しかける気短な崩れた格好の兄ちゃんタイプの拓児、現実の世界で話しかけられても関わり合いになりたくなくて無視するでしょうけど、人なつこくて話してみると気のいい兄ちゃん。その拓児を媒介に、拓児を見放せずに造園業者と腐れ縁の愛人関係を切れない千夏と、人を死なせた自責の念とトラウマで未来を展望できない達夫が知り合い、惹かれあう、人間関係の妙と、底辺で生きる若者の人情の機微を味わう作品だと思います。
達夫と拓児が、今どき信じられないほどの頻度で煙草を吸い続けるのは、底辺の肉体労働系労働者の世界を意識してか、煙草会社の差し金か…綾野剛の煙草の吸い方、かなり独特。サマになっていないと評価していいのか、ああいうのが今風なのか。
拓児が起こした事件後の展開が、比較的簡単にあきらめてしまい、現実的なのも、大きな物語ではなく、この世界で生きるしかない現実の中での機微を描きたいからなのでしょう。
メインの3人以外で独特の存在感を示す脳梗塞で寝たきりの父。ただひたすら性欲だけが残って、始終「はるこ〜」と妻を呼び続けるという設定。そんなに続けてできるものかと疑問を感じるというか感心してしまうところもあるのですが、それでいやになった妻から「自分でやれよ」と怒鳴られ見放されてしまいます。息子からは親父のようになりたくはないと言われますが、脳梗塞なんていつそうなるかもしれないし、それで見放されてしまうのは、やはり哀れ。倒れる以前の人間関係ができていなかったのか、倒れる前は固い絆があっても倒れてしまうとそうなるのか…予備軍としては心もとなく切ない。
(2014.4.29記)
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