庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

たぶん週1エッセイ◆
自粛要請に応じない人々を見て腹立たしく思ったら
    
 自粛要請に応じない人々を見て腹立たしく思ったら、
 自分に問いかけたい。
 あなたは、日本でいちばん忍耐力がない者だったのかと。

 自宅にこもり、外出できないことでうっぷんがたまり、
 自分はこんなに我慢しているのに、と感じるのなら、
 他の人たちも同じように感じているはず。

 ならば、自分よりも忍耐力の低い人たちが我慢できないことは、
 ごくふつうにあり得ると受け止めるべきだろう。

 この新型コロナウィルス禍では、自分が感染するリスクだけじゃなくて、
 自分が無症状の健康保菌者として、知らない/無自覚のうちに他人に感染させるリスクが叫ばれ、
 だからこそ、疑問を感じても、マスクもし、自粛をしている。
 それは、近親者に、他人に、被害を及ぼすことがないように、自分で選んだことだったのではないか。

 私は、何年もの間、休日はカミさんと映画館で映画を見て、ランチを共にしてきた。
 それが夫婦円満の秘訣であり、また私たちのささやかな楽しみでもあった。
 緊急事態宣言後、都内の映画館はすべて閉鎖され、権力者の気まぐれによりそのささやかな楽しみは奪われた。

 夫婦での旅行も、私たちは、そうそうは行けなかった。
 今回の連休には、夫婦で旅行をと考えて休暇を取っていたが、県を跨いでの移動は、まるで犯罪のように言われている。

 千葉県に来ないで:森田知事
 湘南の海に来ないで:黒岩知事
 とかいうのを聞いていると、「こら、都会の感染者ども。この感染の少ない平和な県はおれのものだぞ。おまえたちはいったい誰に断って来ようとしている。来るな。来るな。」(※)
と、地方のプチ権力者たちに言われている気がする。
※「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸はおれのものだぞ。お前たちは一体誰にきいて、のぼって来た。下りろ。下りろ。」出典:芥川龍之介「蜘蛛の糸」

 私は考える。
 私たち夫婦は、映画館での映画鑑賞に特別な思い入れがあるけれども、他の人は他のことに思い入れがあるのだろう。
 サーフィンに思い入れがある人もいるだろうし、旅行に強い思い入れがある人もいるだろう。
 私には、わからないが、パチンコに強い思い入れがある人もいるかも知れない。

 私自身は、狭い家でまったりとカミさんと濃厚接触していてもかまわないが、
 うちの中では息苦しく思う人もいるだろう。
 だれもが金持ちの政治家のように広く立派な家に住んでいるわけではない。
 公園に行ったり、花を愛でたり、いい景色を見て和みたいと思うことは、ごくふつうの心情ではないか。

 私たちの社会は、さまざまな人がいて、成り立っている。
 愛情を感じる人、好ましい人もいれば、嫌いな人、憎たらしい人もいる。
 自分の希望通りには行かないし、だからこそ人生はおもしろいとも言える。

 そのことを、当然のこととして受け止めれば、
 私たちは、これまでの自分の乏しい人生経験上も、
 他人は、本来自分の思い通りになど動かないと弁えているはずだ。

 この社会の中で、私は、自分が庶民であることにアイデンティティを持ち、現実に一庶民として生きている。
 権力者のような上から目線で、社会の同僚である他人を、自粛に応じられないやつなどと蔑むことに何の価値がある?
 そもそも権力者のいうことを何でも聞く必要などないというのに。
 不適切な権力者は、首をすげ替えるべきだけれども、社会の構成員の庶民を排斥することはできない。
 
 自分の価値観に従って、自分の行動を決めたのであれば、他人がそれと同じでなくても自分を律するのが筋だと思う。
 社会の同僚には、より緩やかな理解を示したい。
 その方が心も平穏でいられるだろう。
 厳しい視線は、より弱い者ではなく、恣意的で傲慢な権力者に対して向けていたい。
 (私の職業上の志向と経験からは、労働者を解雇する強欲で傲慢な経営者たちにも)
 それは残念ながら、平穏な道ではないけれども、人生への誠実さのためにも、そうしていたい。 
(2020.4.27記)

**_**区切り線**_**

 たぶん週1エッセイに戻るたぶん週1エッセイへ

トップページに戻るトップページへ  サイトマップサイトマップへ