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たぶん週1エッセイ◆
映画「ジュリーと恋と靴工場」
ここがポイント
 経営者の中国への外注方針と闘う職人たちの団結を描く作品にもなり得たはずだが
 最後のジュリーの選択には、私は納得できないし、後味が悪い
(ネタバレ注意)
 やっと見つけた就職先でリストラ計画と職人たちのストライキに巻き込まれた試用期間中の労働者の揺れを描いたミュージカル映画「ジュリーと恋と靴工場」を見てきました。
 封切り2日目日曜日、全国13館、東京2館の上映館の1つ新宿ピカデリースクリーン6(232席)午前10時40分の上映は2割くらいの入り。

 靴の量販店で試用期間満了時に本採用されずに追い出されたジュリー(ポーリーヌ・エチエンヌ)は、就職情報誌を見て手当たり次第に応募するがすべて断られ、正社員になれるならどこでもいいと伝統ある高級靴メーカーの田舎の靴工場の倉庫係に応募し、試用期間を1か月として採用された。採用早々、新聞に経営者の「近代化」発言を目にした職人たちが工場長にリストラの可能性について詰め寄るのについて行ったジュリーは工場長から危険分子と目をつけられる。職人たちは、さらにパリの本社にバスを仕立てて経営者に抗議行動を行い、訳もわからないうちについて行ったジュリーはバスの運転手サミー(オリビエ・シャントロー)と意気投合し、一夜の関係を持つ。ストライキに入り工場でピケラインを張る職人たちに対し、経営者に雇われたスト破り部隊が実力行使して工場の倉庫から製品を運び出した。スト破り部隊にサミーがいるのを見たジュリーはサミーともみ合いになるが押し倒される。荒らされた工場を片付けた職人たちは、残った材料で昔の靴モデル「戦う女」を復刻生産してアピールし、これが評判を呼んで・・・というお話。

 前半は、正社員の募集が少なく、若者が正社員になれないという、日本と同様の社会情勢を背景に、若者の就職活動の苦労と悲惨さを描いています。ジュリーの身の上に、このあたり、涙します。こんな社会にだれがした、とも。
 後半は、工場の職人たちの闘いで、そんな簡単に勝利できるかなとも思いあっけなさも感じますが、展望が開けます。時代に取り残されたとも見られかねない、熟練職人たちの団結と闘いを描く作品にもなり得るところです。
 しかし、ネタバレではありますが、書いてしまうと、ジュリーの行動は、私には納得できず、後味の悪いものとなっています。どうしてよりによって労働者/職人たちと敵対したスト破り部隊のサミーを選ぶのでしょうか。ジュリーのこの選択は、(若い)女は同僚労働者との団結よりも労働者の敵との恋愛を選ぶ、そういった同僚との連帯意識も誠実さもない浅はかな者だと印象づけたいのでしょうか。そうでないとすると、主人公の選択は正しくて、闘う過激な労働者には正義はない、スト破りの若者の方が共感できる(まぁ経営者に指示されてやむなく参加した無力な若者だし、というところですかね)というアピールなんでしょうか。
 いずれにしても、正社員になることが困難な状況に置かれた若者が、労働者の連帯を選択せず、それと反対方向の者に共感するというのは、労働者の敵としか考えられない政治家たちが若者層に支持されている日本の現状と共通していますが、それがまた非正規雇用が増大し若者が正社員になれないこんな社会を支持し促進しているということを考えると、前半でジュリーの身上に涙した思いが、ある部分自業自得にも思えて最後に興ざめしてしまうわけです。
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(2017.9.24記)

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