◆たぶん週1エッセイ◆
映画「イミテーション・ゲーム」
いじめられた自分をかばってくれた級友への思いと、すべてを受け入れようとするジョーンを受け止められないチューリングの姿が切ない
暗号を解読しながら人々の見殺しを決断させられるチューリングの背負った重荷が哀しい
第2次世界大戦中ドイツ軍の暗号解読に従事した天才数学者にしてコンピュータの基礎となるマシンの開発者アラン・チューリングを描いた映画「イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密」を見てきました。
封切り3週目日曜日、新宿武蔵野館1(133席)午前10時50分の上映は8割くらいの入り。
1951年、隣人からチューリング教授の家に泥棒が入ったと通報を受けて駆けつけた警察官(ロリー・キニア)は、何も盗まれていないと言って警察を追い返そうとするチューリング(ベネディクト・カンバーバッチ)の態度に不審感を持ち、調査を始めたところ、第2次世界大戦中の軍の資料が廃棄されていることに疑問を感じ、男娼がチューリングとの関係を自白したことを材料に、当時のイギリスでは犯罪とされていた同性愛の罪でチューリングを逮捕して取り調べる。取調に応じて、チューリングは第2次世界大戦が始まった1939年、27歳の天才数学者だった自分が陸軍秘密諜報部(MI6)に雇われドイツ軍が用いていた世界最強の暗号「エニグマ」の解読に従事したことを語り始め…というお話。
暗号機の設定(キーボードのキーの接続替え)が毎日午前0時に変更され、その解読のために159×1018のパターンを試すことになり人力で総当たりすると10人が24時間働いても2000万年かかるという条件の下、チューリングはチェスのチャンピオンなどの他のメンバーとは離れて1人で10万ポンドの予算を取って電子計算機を作り始めます。暗号機が入手され暗号機のロジックはわかるが設定の照合に無限の時間がかかる、こういうときこそコンピュータの出番だと、現在の私たちにはすぐにわかりますが、チューリングの協調性のなさ、直情的で攻撃的な態度もあって、周囲の理解を得られません。
その電子計算機に、チューリングは、少年時代にいじめられていた自分をかばい唯一の親友として思いを寄せていた級友の名をとって「クリストファー」と名付けます。同性愛が犯罪とされていた時代に、本人としては秘めた思いの実らなかった恋の思い出が切なく描かれています。
チームのメンバーから浮いて嫌われていたチューリングを、他のメンバーと結びつけていく、当時は珍しく白眼視されがちだった男性に伍して働こうとするクロスワードパズルの天才ジョーン(キーラ・ナイトレイ)のチューリングに寄せる思い。同性愛でもかまわない、私はあなたが好き、あなたも私が好き、ふつうである必要はない、一緒に暮らしていこうというジョーンの申し出(ここ、私は、この映画の一番のシーンに思えました)を受け止めきれないチューリングの純朴さ不器用さ、設定上の間の悪さというか人生のすれ違いが、また切ない。
暗号を解読したチューリングらには、ドイツ軍に攻撃される人たちを救おうと思えば救えるが、ドイツ軍に暗号の解読を悟られては暗号自体が変更されてしまうため、連合国がドイツ軍を急襲する時には別の情報で知ったことを装う必要があり、救う時と見殺しにする時を選別していかなければならないという重い任務が課せられます。理論的であるゆえに、直ちにその冷徹な判断をしたチューリングに対し、ジョーンはすぐにそれに賛同するものの、その日のドイツ軍のターゲットの艦船に兄が同乗しているメンバーはチューリングの非情を罵ります。純朴でまっすぐで、政治的な腹黒さのないチューリングには、そのような重責は心の重荷になり、周囲からは冷静に受け止めているように見られながら、度々自分を追い込むようにランニングを続けるシーンの表情に、その過酷さがにじみ出ます。そのあたりも含めて、ベネディクト・カンバーバッチの表情がとても雄弁な作品だと思います。
「時に誰も想像しないような人物が、誰も想像できない偉業を成し遂げる」という言葉が、ここぞという場面で登場する、変わり者・異端者の排斥を憂い、異端者の人生への目配りを見せる作品ですが、同時に、その異能の才を存分に利用しながらその事実を隠蔽し歴史から抹殺する国・官僚・政治家の非情も感じさせます。愛国心からプロジェクトに参加し奉仕し自らをすり減らしたチューリングの末路を見ると、国のために尽くすことの虚しさを感じます。国や行政のやり方は、別に戦時中に限らず、こういうものだと思いますが、こういうやり方がまかり通る限り、正直者がバカを見るとしかいいようがないと思います。
(2015.3.29記)
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