◆たぶん週1エッセイ◆
映画「シークレット・チルドレン」
排除主義的な独裁者に対する抵抗が難しいとはいえ、そこまでささやかな「勝利」に甘んじなければならないか
敵にレッテル貼りして国民の目をそらせる独裁者の常套手段が簡単に通じてしまうのが悲しい
政権交代により「廃絶」を宣言されたクローン人間たちの抵抗と絶望ともがきを描いた映画「シークレット・チルドレン」を見てきました。
封切り2週目日曜日、全国14館東京では唯一の上映館(他はコロナシネマワールドグループだけ)ヒューマントラストシネマ渋谷シアター3(60席)午後0時30分の上映は3〜4割の入り。
近未来のとある先進国Xでは、36年前に人口減少対策として遺伝子を操作して生殖能力を持たない「シークレット・チルドレン」と呼ばれるクローン人間を3万人作り出した。クローンたちは居住区を指定され、人間と共存してきたが、政権交代により登場した独裁的な大統領ブルームクイスト(ルイ・デズセラン)は、クローンの廃絶を宣言し、クローン監視委員会を設立し、クローンを見つけ次第「捕獲」し、DNA検査でクローンと確認するや「廃絶」(銃殺)していった。シークレット・チルドレンの幼なじみのカップルセドリック(オーガスト・コリエル)とソフィア(ジェイミー・ベルナデッテ)は公然と非暴力抵抗組織を宣言し隠れ家を多数用意してSNSを通じてシークレット・チルドレンたちと連絡を取り隠れ家に案内していくが、セドリックとソフィアの方針に疑問や反発を持つシークレット・チルドレンもいて…というお話。
排除主義的な独裁者の危険性を訴える意図は理解できるのですが、被抑圧者側の連帯・協調が進まずシークレット・チルドレンの抵抗運動の英雄も一人の裏切り者によりあっけなく潰され、そしてエンディングに見られるようなあまりにもささやかな「勝利」に甘んじるしかないのか、沈痛な思いを持つ作品です。
そうですね。苛政は虎よりも猛し。そして政権交代の希望もなし、ではね。
独裁者ブルームクイストの演説。クローンの連中の保護と教育のために莫大な資金が使われクローンが人間よりいい暮らしをしているって、内容自体嘘なのですが、かつて、とある「先進国」で同和対策事業について言われ、最近生活保護不正受給キャンペーンで言われているのと同じですね。政策の本質から目をそらすために、外に敵を作ったり国民の中に敵を指定して国民の分断を図り、その敵への憎しみに国民の関心を集中させて、抑圧的な政策を通してしまう。独裁者の常套手段ですが、これが簡単に通用してしまうところが、悲しいところです。
番組でブルームクイストの演説を流すことに対して政府のプロパガンダに協力するのは嫌だと抵抗するキャスターエレーヌ(アリーズ・マリー)は、上司からお前の代わりはいくらでもいる、15歳若いテレビ映りのいい連中がいつでも待っていると脅され、黙ってしまいます。そうしてエレーヌが自己嫌悪に陥っているところに、車に乗り込んできた孤立したシークレット・チルドレンのランス(マーク・ディポリット)からシークレット・チルドレンの現状を報道してくれと頼まれ、私の一存ではできないと答えると、あんたも同じか、キャスターは正義の味方かと思っていたと詰られます。エレーヌからすれば、何とかしたいという思いはあるがテレビ局の組織上の無力感を感じているところに、見知らぬ者から一方的にキャスターならこうできるはずだと過大な期待をかけられ、しかもせめて何か具体的な情報を持ってくるならともかくただ協力してくれと言われても何もしようがないと思いますが。このエレーヌ編はここで途切れてその後のフォローがなく、ちょっと残念な感じ。
6年越しの恋人、ジュリエット(エレン・モナハン)とカール(アリ・ハースタンド)。24歳になり子どもを産みたいと結婚を迫るジュリエットは、結婚の話になると途端に話をはぐらかすカールに不満が募ります。この悲恋もこのエピソードのラストシーンには胸が詰まりますが、そこまで。
セドリックとソフィアのストーリーに絡まない、エレーヌ編(ランスのエピソードとも言えるのかもしれませんが)とカール編がぶつ切り感を残し、作品としては、そこをもう少しうまく収拾して欲しかった気がします。セドリックとソフィアのエピソードでさえあのラストが限度とすれば、望むべくもないことかも知れませんが。
(2014.5.18記)
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