◆たぶん週1エッセイ◆
映画「黒いスーツを着た男」
交通事故を契機に積み上げてきた人生を失う男の物語という風情だが、イケメンなら何でもありかと思わせる
アルに金を要求するヴェラとその友人たちが悪役に見えるのは、イケメンは正義、不法移民(モルドバ人)は悪い奴という意識、差別感のなせる技としか思えない
アラン・ドロンの再来と言われているイケメン俳優主演のサスペンス映画「黒いスーツを着た男」を見てきました。
封切り4週目土曜日、全国2館、東京では唯一の上映館のヒューマントラストシネマ渋谷シアター2(173席)午前10時40分の上映は1割くらいの入り。
自動車ディーラー会社で修理工から成り上がり支配人を任され10日後には社長の娘と結婚する予定のアル(ラファエル・ペルソナ)は友人のフランク(レダ・カテブ)、マルタン(アルバン・オマール)と車の中でふざけ合っているうちよそ見をして歩行者をはねてしまった。アルは車から降りて様子を見るが被害者は倒れたまま動けない。フランクらに呼ばれアルは車に戻り、車は修理して売却し、何事もなかったように振る舞う。部屋の窓から事故を目撃したジュリエット(クロチルド・エム)は救急車を呼び、翌日、意識不明の被害者が入院中の病院を訪ね、被害者の妻ヴェラ(アルタ・ドブロシ)に事故の状況を伝える。被害者はモルドバからの不法移民で、アスベストが漂う危険な建設現場で働いていた。新聞のひき逃げ事件報道で被害者の入院先を知ったアルは密かに病院を訪ねるが、そこに行き会わせたジュリエットは、アルを見て目撃した犯人と気づき後を追う…というお話。
交通事故をきっかけに積み上げてきた人生を失う男の物語という風情ですが、しょせんはひき逃げ犯のアルが、怖くて逃げてしまった、社長の娘との結婚を10日後に控えている、社長にも婚約者にも話せない、被害者とは会いたくない、金は払うというのを、「悪い人じゃない」といってジュリエットがかばい、しかも恋人がいて妊娠3か月のジュリエットがそのアルとHしちゃうというのは、イケメンは得だ、イケメンなら何でもありかと思ってしまいます。
アルがジュリエットとHしたのは口封じかと思いきや、その後ジュリエットに付きまとってふられてしまうシーンもあり、婚約者がありながらアルが何考えてんだかという気がします。ジュリエットの対応は、そこはちょっとホッとしますけど。
作品の流れ・イメージとしては、アルに金を要求するヴェラとその友人たちは悪役に見えますが、病院からは1日1500ユーロ(1ユーロ130円で換算して19万5000円)もの治療費を要求され、被害者は意識不明で収入がなく妻も行かなければすぐに解雇されるような不安定な仕事という状況で、要求した金額が初回8000ユーロ(同じく104万円)、被害者死亡後の2回目2万ユーロ(同じく260万円)の合計2万8000ユーロ(同じく364万円)。人が死んだケースでの要求としては、弁護士の目からは考えられないような控えめな請求。これが何か過酷な要求に見えるのは、やはりイケメンは正義、不法移民(モルドバ人)は悪い奴という意識、差別感のなせる技としか思えないのですが。
フランスの保険制度のことはわかりませんが、日本で言えば、自賠責保険(強制保険)で死亡事故なら3000万円まで保険でまかなわれますので、保険を使えば加害者のアルも資金捻出のために不正行為に手を染める必要もなく、被害者・遺族ももっと賠償金を得られたわけで、どちらもハッピーな結果となるはずです。
それができない事情は、ひとえにアルがひき逃げをしてしまい事故を隠蔽し続けようとするからです。それはあくまでも加害者側の勝手な事情で、それを被害者に押しつけるのは酷いことだと思います。その意味でも、本来的には、この事件ではもっと被害者側に同情が集まるような描き方をするのが公平だと思うのですが。
交通事故の場合、よそ見運転でもそれは過失犯ですから、すぐに救急車を呼び警察にも通報して事故の申告をすれば、刑事事件としては罰金か執行猶予で済み、刑務所に行くことはほとんどない、そして民事の賠償も保険でまかなえるのが通常ですから、ひき逃げはむしろ割に合わないと、弁護士の感覚では思いますし、刑事政策的にもそういう認識を一般に広めることがひき逃げを防ぐために重要なはずでした。しかし、近年の「交通事故も重罰化」の中では、過失犯なら実刑はほとんどないとは、もうとても言えなくなってしまいました。そうすると、刑務所に行くのが怖いからそのまま逃げるというアルのようなパターンが増えるのでしょうね。
原題の Trois mondes は、フランス語で「3人」の意味(ふつうの辞書的な訳だと「3つの世界」でしょうけど)。交通事故を起こしたアル、目撃したジュリエット、夫を事故で失ったヴェラの3人が事故を契機に人生が変わり巻き込まれていくという趣旨だろうと思います。邦題の「黒いスーツを着た男」は加害者のイケメン男に焦点を当てるもので、被害者側を対立者、向こう側の人間に感じさせるこの映画の描き方にあっているとも、それを原題よりも助長するともいえそうです。私は、原題の方がより中立感があると思うのですが。
(2013.9.22記)
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