たぶん週1エッセイ◆
映画「終の信託」
ここがポイント
 延命措置の打ち切りとその判断を託された医師の苦悩の選択、それに対する司法判断という重いテーマを扱った作品
 あいまいな聞き方と論理のすり替えで素人を手玉に取りながら捜査側が欲しい内容の供述調書を取っていく検察官(大沢たかお)の取調テクニックは弁護士としては歯がみする思い
弁護士の視点

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 心を通じる患者から尊厳死を求められその限界の判断を託された医師の苦悩の選択を描いた映画「終の信託」を見てきました。
 封切り初日土曜日、新宿ピカデリースクリーン6(232席)午前9時20分の上映は2〜3割の入り。観客層は中高年中心でした。

 ふだんよりもかなりネタバレです。特に最後の方の検察官の取調についてのコメントは、弁護士としていわざるを得ない思いで書きますがネタバレしないと全然書けない話ですから、完全なネタバレになっています。

 呼吸器内科医の折井綾乃(草刈民代)は、不倫関係にあった医師高井(浅野忠信)が綾乃が同行したいといって断られたホノルルへ妻以外の若い女性を連れて行ったのを目の当たりにして詰問したところ「結婚するなんていったっけ」とつれなくいわれ、当直室で酒を飲み、睡眠薬を繰り返し飲むうち意識不明となる。看護師に発見されて救命措置を受けながら、綾乃はぼんやりとした意識でもう終わりにしたいと思っていた。喘息の発作で入退院を繰り返す患者江木(役所広司)と話すうちに失恋を突き放して見ることができた綾乃は、次第に江木と心を通じ合わせていく。自宅付近の河原を散歩する江木を訪ねた綾乃は、無意味な延命治療はせず自分が死の苦しみにどこまで耐えなければならないかは先生が決めて欲しい、妻には重荷を負わせたくない、治療費の支出も抑えて少しでも多く妻に残してやりたいと江木から頼まれる。それからしばらくたって、綾乃の勤める病院の診察券だけをポケットに入れて河原で心肺停止状態で発見された江木が病院に搬送され、懸命な蘇生措置で心拍は復帰し自発呼吸も弱々しくは回復したが意識は回復しなかった。妻と息子を前に綾乃は江木の意向を説明するが・・・というお話。

 医療技術の発達で、回復の見込みがなくても延命措置で生かし続けることだけは容易になってしまった現代において、回復の見込みがないのに自分が延命措置を受け続けることに疑問や拒否感を持つ人が増え、家族の立場からは回復するのならば治療を続けて欲しいが回復する見込みがないのに医療費ばかりかさんでいくことは困るという思いがあり、しかし家族の側ではその判断もできずまた言い出しにくく病院側への不信感を募らせるという状況があり、他方技術的には生かし続けられるものを延命措置を打ち切るということになれば責任問題が生じうるという医師や官僚の立場も絡みどうしていけばいいのか、そういう重いテーマを正面から扱った作品です。
 前半で自ら救命措置を受けながら自己の意識の中ではもうやめて欲しいと思いしかしそれを伝えることができない状態だったことを経験したことが、綾乃の江木への思い、そして江木の延命措置をどうするかへの決断の布石になっていますし、このときに自分は自殺するつもりじゃなかったのに周囲に自殺未遂と思われてもそれを明言できない綾乃の態度は、後半で検察官(大沢たかお)に責められて自分の思いとは違う調書に署名してしまうことにも通じていて、一見本筋と無関係に見える高井との不倫や睡眠薬服用などもきちんとストーリーに絡み、無駄のない巧みな構成がなされているように思えます。

 自分の妻のショーツ1枚での乳房も揉まれるベッドシーンをとる監督ってどういう心境なんでしょうね。全裸にはしなかったというのが最後の一線なんでしょうか・・・
 それにしても、高井(浅野忠信)ちょっとひどすぎ。仲里依紗もああいうふうに捨てられたんだろうかと、つい余計な想像をしてしまいました。

 綾乃の医師としての失敗は、延命措置を打ち切る決断そのものではなく、チューブを抜いたときの江木の容態の変化を予期できなかったことにあるように思えます。実施する決断をするに当たっては、医師として当然に他の症例での研究とかを調査して現在の症状と照らし合わせて検討すべきでしょう。それを怠ったとしたら倫理的な問題以前に専門家としての失態だろうと思います。調べて予期できるものなのかどうかは、私にはわかりませんが。
 江木の容態の変化が予め予測できたのであれば、苦痛を除去するという目的からしても、チューブを外す前に鎮痛剤を投与するなどの措置ができたでしょうし、家族に対しチューブを外すとこういう症状が出るがそれはこういうことだからと説明しておけば家族も納得できただろうと思います。
 その部分で失敗があったがために、家族の気持ちの中で不信感がくすぶり続けて3年後の告訴という事態につながったのだろうと考えられます。専門家の対応として、きちんと押さえておくべきところであるとともに、難しくも悩ましいところではありますが。

弁護士の視点
 さて、終盤の検察官による取調のシーン。弁護士の目からは、歯がみしたくなる場面の連続でした。
 この事件では江木の直接の死因がチューブを外したことにあるのか、鎮静剤の過剰(致死量以上の)投与にあるのかが決定的なポイントとなり、それにあわせて綾乃が鎮静剤を投与する際に江木の死を予期・容認していたかが取調の最重要ポイントになります。回復の見込みのない植物状態の患者で患者が尊厳死を希望しているということならば、主治医がチューブを外すことは、既に延命措置が実施されている状態を前提とするとそれを外す行為は積極的な行為ともいえますが、全体としては延命措置をしないということにとどまり、理屈上は殺人罪に当たると解する余地があるとしても現実にはそれを殺人罪として公判請求するということにはならないと考えられます。この事件では死亡から3年後の告訴で事件が動き始めたということですから、死亡時点で司法解剖はされていないのではないかと考えられ、また解剖されていたとすれば死因は鎮静剤ではないと判断されたものと考えられます(解剖で鎮静剤が死因と判断されていればその時点で捜査が始まったはずですから)。さらにいえば、鎮静剤の投与量についても、病院に残る記録上、致死量以上ということはないはずです。病院が綾乃が患者に致死量以上の投薬をしたという認識を持ったなら、仮にそれ自体はもみ消したとしても、その後に部長にするとは考えられません。それを考えても、検察はほとんど手持ちの物証はなく供述だけで危うい組み立てをしていることが容易に想定できます。
 そのことはさておいて、仮に江木の死因が鎮静剤の過剰投与によるとしても、殺人罪で立件するためには、綾乃が投薬当時に致死量の投薬をしたという認識があったことが必要です。検察官は看護師の供述を材料に看護師に命じて30ml投与した後、自ら3アンプル30mlを投与したと主張し、綾乃は自分で追加投与したのは1アンプルだと主張しています。もし40mlでは致死量ではないというのであれば、殺人罪での立件は無理のはずです。
 ところが、検察官は、チューブを外すことによる死亡の予期と鎮静剤の投薬による死亡の予期をことさらに曖昧に聞き続け、綾乃に対して苦しませたくないから死なせたということを認めさせ、それを致死量を超える投薬と認識していたという調書にしていきます。また、江木の尊厳死の希望・依頼についてそれはまだずっと先のこととして言ったんだろう、死期が迫って言ったんじゃないだろうと追及する過程で、江木が尊厳死を希望した時点では死期が迫っていなかったと認めたことを綾乃がチューブを外した時点で死期が迫っていなかったことにすり替えていきます。このような素人にはわかりにくい違いを、気付かせないように曖昧にしたり混同させながら捜査側が欲しい供述(捜査側の筋書に沿った供述)をとっていくのが、取調のテクニックとなっているわけです(現実に私が取調を受けたことはありませんが、捜査段階で弁護人として被疑者から話を聞いていると、捜査側が意図的にやっていると断定まではしませんが、そういう流れで取調が進むことが珍しくないと思います。そのあたりについては刑事事件の話「面会で何をアドヴァイスする?」で書いています)。こういった素人目にはたいした違いに見えないことが重要な意味を持つ事件で、その違いの重要性がわからず、しかも患者を死なせたことで負い目のある綾乃を追い込んで、筋書き通りの供述調書を作ることは、手慣れた捜査官にはさほど難しいことではないと思われます。
 医師である綾乃が死亡した患者のことで検察庁から呼び出しを受けたとき、弁護士に相談・依頼しなかったのでしょうか。こういう実態に反して捜査側に都合のいい供述調書を作らせないことが捜査段階の弁護の最も重要な目的です。せめてチューブを外すことによる死を予期したのと鎮静剤の投与の際に投薬による死を予期したのとでは法律上の評価に天と地ほどの差があること、尊厳死の依頼時点で死が切迫していることは尊厳死が正当化されるための要件ではないこと(尊厳死の依頼の重みやそれが継続していることの判断にまったく無関係とは言いませんが)など、この事件で問題となる論点を整理したアドバイスを受けていれば、そして検察官から調書への署名を求められても署名する義務はないこと、内容に少しでも疑問があれば署名拒否を材料に訂正を求めるべきこと(検察官は署名してもらわないと調書が無意味になることから、「訂正しないと署名しない」と言われれば訂正せざるを得ないこと)のアドバイスを受けていれば、検察官に赤子の手をひねられるように不本意な調書を作られなかったと思います。
 そういう点から、警察大好きマスコミが褒め称える(冤罪事件が発覚したときだけ批判する)取調の実情と、捜査段階での弁護の重要性を再確認させてくれる作品でした。 
(2012.10.27記)

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