庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

たぶん週1エッセイ◆
映画「罪の声」
ここがポイント
 体制に刃向かう者を貶めることが目的かと思えるほどに制作サイドの志の低さを感じる
 事件の構図も無理があり、自己満足してるのは「犯人」よりも制作サイドじゃないかと思う
    
 グリコ森永事件をエンターテインメントとして消費した映画「罪の声」を見てきました。
 公開3日目日曜日、新宿ピカデリーシアター2(301席)午前11時45分の上映は9割くらいの入り。グリコ森永事件をリアルタイムで知っているとは思えない世代が大多数。

 京都で父曽根光雄(尾上寛之)から受け継いだ紳士服店「テーラー曽根」を営む曽根俊也(星野源)は、クリスマス飾りの予備を探して押し入れの奥を覗き込み、父の遺品の箱から英文で記された黒い手帳とカセットテープを発見した。カセットテープには、幼き日の自分の声で、1984年に世間を震撼させた「ギンガ萬堂事件」で企業に金の引渡場所を指示するのに使われた文章を読み上げた音声が録音されていた。手帳には「ギンガ」「萬堂」の書き込みがあり、その記載から伯父達雄(宇崎竜童/川口覚)のものと知った俊也は、達雄の人物像や交友関係を調べ始める。他方、大日新聞大阪本社で東京社会部で嫌気がさして文化系記事を書いていた阿久津英士(小栗旬)は、平成の終わりに未解決重大事件の「ギン萬事件」の調査報道を企画した社会部デスク(古舘寛治)に取材に引っ張り出され、当時の記録から、ギン萬事件前にオランダで起こった類似の経営者誘拐事件を聞き込んでいた男を捜しにロンドンに飛び…というお話。

 設定、経過はすべてグリコ森永事件のものを使い、キツネ目の男のモンタージュもそのまま使いながら、「ギンガ萬堂事件」などと白々しく企業名を変え、この作品はフィクションだと断っています。綿密に調査したと自信があるなら実名でやればいい。フィクションなら設定を一から作り直せばいい。どちらもできないで実際の著名事件の経過を引き写しつつ事実と違うと指摘されたときの逃げを打つ。すでにここからして志のレベルが見えています。
 ごく最初ですでに示唆されていることなのでネタバレと気にすることなく言いますが、現実の事件でそうだという確認など何らなされていないのに、「ギンガ萬堂事件」は極左の活動家が暴力団関係者らと手を組んで身勝手で自己満足的な革命幻想/金持ちに一杯食わせるという思惑で実行し、子どもの声を使ってその子どもたちを不幸にし、企業にも社会にも大迷惑をかけたものと断罪しています。しかも、物語でキーとなる2人の「極左」活動家が極左に走った動機は、1人は父親が警察官の犯罪のために冤罪に巻き込まれて解雇され自殺したことへの恨み、もう1人は父親が内ゲバで誤爆されて殺され報道で極左活動家と誤解した会社が葬儀にさえ来なかったことだというのです。後者に至っては、極左に父親を誤爆されて殺されたものがどうして自分も極左に入ろうというのか、まったく理解できません。犯人は極左で、その犯人が極左に走った動機も極左のせいと、あらゆることを極左が悪いからということにしたいという制作サイドの思惑というか驚くほどの悪意を感じます。2人とも、世の中をよくしたいという理想論/理念ではなく、個人的恨みから極左に入ったという設定で、卑小な存在と描かれています。
 重大事件を何の根拠もなく、極左の犯行と断じた上、その極左を個人的な恨みから極左活動に入った卑小な存在と描く。体制/権力に刃向かう者を貶めるだけと言ってもよいこの作品を見ていると、制作サイドの体制/権力へのへつらい/忖度に終始する志の低さばかりが目に付きました。

 事件の構図も、脅迫された企業からは犯人に1円もわたっていないとして企業側を擁護し、犯人は株価操作で儲けることを最初から目的にし、現実にもそうしていたと描いています。もしそうなら、匿名口座で取引したとしても、事件前の大量の空売り、それも複数企業で続けてそれがあれば当然に警察が捜査し、証券会社が警察の捜査に抵抗して取引当事者を秘匿することも考えられず、事件は遠に解決していたはずです。警察がその程度のことさえ頭にも浮かばなかったいうつもりなのか(いくら何でもそこまで無能じゃないでしょ)、証券会社が匿名口座の匿名性を警察に抵抗してまで守るというのか(そんな骨のある会社ないでしょ)、ずいぶんと詰めの甘い着想だと思います。

 父親が落とし物を届けたらそこから現金を抜いたと疑われて(実際は届けを受けた警察官が横領)、勤務先を解雇されたというエピソード、間違っても自殺などしないで弁護士に相談してください。冤罪の場合はもちろんのこと、職場外で落とし物を拾ってそこから現金を抜いたくらいなら、現にやった場合でも、(その他に何か問題がないかとか、刑罰がどうなったか、報道がどれくらいあったか等の事情にもよりますが)解雇はたぶん無効にできますから。(もっとも、原作を読むと、その現金がかなり多額で、公判請求されて執行猶予付きの懲役刑になったようです(389ページ)ので、裁判官の大勢の感覚では、罰金で済まずに懲役刑だと、解雇有効に傾きそうですが)
 阿久津は、極左の犯人を断罪する際、犯行によって会社の業績が悪化して多数の人が解雇されたと強調しています。そのあたりは阿久津と制作サイドが企業の味方ばかりしてるんじゃなくて労働者のことも考えているというポーズで言ってるのかもしれません。しかし、構造的ではない企業恐喝による業績悪化は短期間と予想されるわけですから、それで大量解雇があったら、それもたぶん闘えると思います。
 企業の解雇を、簡単に仕方ないと諦めたり、この作品の制作サイドのように安易に正当化したりせずに、闘うという選択肢があることを、いつも頭に置いておいて欲しいなと、労働者側の弁護士としては、思います。

【原作を読んで追記】(2020.11.20)
 原作とは、曽根俊也が手帳と録音テープを発見した経緯が異なり、阿久津が社会部から文化部へ異動した経緯も異なり、阿久津は仕手グループの取材をしているのに「金主(きんしゅ)」という言葉さえ知らないとされ、録音テープの子どもの声のうち20代女性と考えられていたものが最新の声紋鑑定家の意見では15歳くらいとわかったということを阿久津が調べてきたことになり(そのすぐ後になぜか曽根俊也がそれを前提にしているという致命的なミスに思えるシーンも登場)、阿久津が極左の首謀者に事件のおかげで大量の労働者が解雇されたと迫る台詞を追加し、録音の声を使われた生島望と生島聡一郎の境遇を原作より生々しく悲惨にするなどの点で変更が加えられています。
 これらの変更は、ほとんどが、犯人の残酷さをより印象づけ、極左の2人をより卑小に見せるためのもので、原作者以上に、この作品の制作サイドがそういう意思を強固に持っていることがわかります。
(2020.11.1記、11.20追記)

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